30年ほど前に母に買ってもらったミシン
ずっと使ってきましたが、ついに動かなくなりました。
その当時の私はミシンは学校の授業で使う以外は
触ったこともなく、とくに好きではなかったのですが
母は足踏みミシンを長年使ってて、電動ミシンは嫁いだ姉が
持って行ってしまったので、電動ミシンが家になかったし
あると良いかなとは思った感じでした。
☝のデザインはあの森英恵さん
素敵だな~と思いましたが、当時は母の方がむしろ喜んでた
感じだったかも。
母の知り合いに同時期に買った人がいて
その人には☝のような
森英恵さんのデザインはなかったそうです。
まぁ、しかし
買ってもらったからにはいずれは使おうとは
思ってました。
でも、仕事だのバイトだの忙しかったし
使うことなんてほんとになかったんです。
(宝の持ち腐れじゃないの?と知人に言われた
こともあった)
いずれは洋裁の学校に通いたいなと
高校辺りから思ってはいたんです。
なかなかチャンスがなかったというか。
仕事をしていて、やっと時間が出来て
職場からわりと近くで
ついに良さそうな洋裁教室を見つけて
行くことにしました。
洋裁教室には2年通いました。
仕事が終わってから週に一度
通ってました。
服もスカート作りから始まり
ワンピースとかいろいろと作ることを
習いました。
そのあたりからミシンをよく使うようになりました。
同時期に習い始めた方は私を入れて4人程いました。
すぐに辞めた方もいましたが
当時はコギャルとかアムラーとか流行ってた時代
そんな感じの風貌の方が居ました。
その方が1番覚えが早くて凄かったんです。
その方はお友達と来ていて、そのお友達も同じ感じに
凄かったような。
私はホント覚えが悪かったんです。
しかし、先生は基礎から教えて下さった。
先生は3人くらいいて、当時50代位と
60才前後の先生、そして70歳くらいの
先生といました。
70歳くらいの先生はベテランを中心にという感じで
あまり関わることはなく、他の二人の先生と関わる
ことが多かったです。
60歳前後の先生はとくに気さくな面白い感じの先生で
良かったです。
型紙を作るところやロックミシンを使うことも
習いました。
仕事が終わった後の楽しい時間でした。
ちょっとした服の展覧会も誘われたことがあり
有難かったです。
服だけでなくクッションとかもよく作ったし
大塚屋(布のデパート)にもよく行くようになった。
しかし、部署が変わって、場所も遠くなったし
残業も多かったのもあり辞めました。
先生達はもう結構なお年かと思う。
お元気だろうか?教室も多分もう先生は新しい
先生に代わってるかも。
辞めてから数年位か
またミシンを使わなくなりました。
こちらが30年ほど使った電動ミシン
結婚をする前にミシンの会社の方に来てもらい
改めて習った。
☝のピンクの紙に貼ったのはその時に聞いた
ことを書きました。
針の入れ替え方とか。手入れの仕方とか。
新婚の頃にもいろいろとクッションとか小物を作ったりして
使いました。
が生まれてからも使うだろうと
生まれる前にスタイとかおもちゃとか作った。
しかし、が幼稚園に上がる頃か
ミシンの調子が悪くてついに修理に初めて出しました。
もうその時でも20年ほど経ってて
直してもらえるか心配でしたが無事に直りました。
同時期に母の足踏みミシンが動かなくなったそうで
私もミシンの会社とかに問い合わせましたが
もう40年以上前の足踏みミシンということで
直すのが難しいことを言われ諦めました。
実家に行ってミシンの写真に残しておきたかったんですが
行った頃にはもうミシンは処分されてて最後の姿を見る
ことが出来ませんでした。残念です
足踏みミシンは母のミシンの仕事でもフルに使われ
私達兄弟や友達や母の姉妹の服作りなどに
使われました。
私は子供の頃
母が作った服はなんだか苦手でした。
(周りには母親が服を作る子が少なく
買った服を着る子が多かったからか?)
しかし、大人になってからは
スカートとかよく作ってもらい着てました。
そして、私のミシンの話に戻りますが
が幼稚園、小学校あたり本当にミシンが大活躍
しました。
雑巾も塗ったし、手提げ袋とかも作りました。
大塚屋のはぎれ大会もと運動会の代休あたりに
行ったこともあった。
ホントにスゴイ人だったなぁ。
☞こちらに書きました。
と結構長い時間並びましたが
は退屈がったり、嫌がることもなかったような。
大塚屋は名古屋では布のデパートということで
有名な所です。
子供の頃から母に連れられて行きましたが
イヤでした。帰る頃に隣にあるたこ焼き屋さん(今もある!)
に行く方が楽しみでした。
しかし、今は大塚屋大好きです
布もいっぱいあるし、ともよく行きます。
私は服作りは得意じゃないですが
小物類を作るのは今も大好きです。
さんに頼まれて、車の中のものを縫ったりも
ありました。
しかしミシンは何度か調子が悪くなって
再び修理に出したこともありました。
(その時にはもう新しいミシンを勧められた)
使って30年経って、最近ついに動かなくなり
修理も再び考えましたが、限界を感じました
(修理に日数がかなりかかったこともあるし)
どうしようか・・・・と、サンザン悩みましたが・・・・
そろそろ新しいミシンを使うことを考えようかと
思いました。も使うことがあるし。
なんていうか、ミシンは私が生まれた頃からずっと
傍にいた身近な存在というのか。
ミシンと共に生きて来た感じもあります。
そういえば、学生時代に家庭科の授業で
服を作るときがありました。
学校には足踏みミシンしかなくて
電動は置いてなくて困った
家にあった電動ミシンは姉が嫁ぎ先に持って行ってしまい
家にも足踏みミシンしかなかったんです。
足踏みミシン使えなかったし、悩みました~
少し使ってみましたが使いこなすのは無理だった
なぁ。母に結局手伝ってもらったような・・・・
頻繁には使わなかったミシンですが
最近ならマスク作りに大活躍しそうです。
今も主にパン作りの勉強をしてるのでパン作りが
中心になりますが、手芸も大好きです。
また手芸の事やミシンの事とか
書きますね