日本人はいつから季節によって色を着るのか?調べてみたら、昼ドラのようだった話 | 執事カラーセラピスト

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おはようございます。

朝晩はまだ寒いけど、日中は過ごしやすくなりました。

男性は、あまり変わり映えしないかもしれませんが、女性は季節によって様々なファッションを楽しめますね。

季節によって色を着ると言っても良いでしょう。

 

このような文化はいつから続いているのでしょうか?

 

奈良時代までは、朝鮮や中国大陸の文化を真似してました。

日本独自の文化が明確になってくるのは、平安時代からと言われています。

 

平安時代になると、ひらがなが発明され、歌を詠む文化が生まれす。

(※ちなみに、“ひらがな”は、ずーーと変わっていないので、現代人でも読むことが出来るんですよ!凄くないですか!!)

 

 

歌のメインテーマが「季節感」です。

季節の移り変わりの表現に色が使用され、日本文化にとって、季節と色は、よりライフスタイルに密接につながっていったのです。

 

そして、平安貴族は、季節の色を着るようになりました。

それが十二単です。

十二単は、家柄や年齢によっても使える色や柄が決まっていました。

そして、その重さは、なんと20kg!!

貴族大変!!

そんな重い物を着て

「ルネッサーンス(^^♪」なんて、やってらんないですね。

↑ルネサンスきてねーから!

 

おっと、4世紀も早いツッコミを入れてしまいました^^;

 

さて、十二単は色を重ね着しますが、これを重ね色目と言います。

重ね色目で、とーーーーっても大切なことがあります。

それは、季節を感じる色合いかどうか?

貴族は、ファッションセンスも仕事の内。

 

平安貴族にとって、季節を感じる事が一つの教養だったのです。

 

貴族はメンツが第一ですから、十二単を着るという事は・・・

 

じゃないと、お局様からこんなこと言われちゃいます。

 

清少納言「なんて恐ろしい事なんでしょう。4月なのに、紅梅色の着物を着ているなんて・・・」

季節音痴な人は、そんな風に扱われてしまい、嫌味を言われてしまいます。

 

それにしても、清少納言・・・

嫌なBBAですね。

おっと全然隠れてなかった。

 

隠すと言えば、そうそう。

平安時代の貴族の女性は基本的に他人に顔を見られてはいけないのです。

 

基本、暖簾(のれん)で顔が隠れてます。

移動中ももちろん、戸締りはしっかりしなきゃいけないんですが・・・

実は、戸締りしっかりしてないんです!!

馬車の暖簾の隙間から、十二単の裾をわざわざ外に出して乗るんです。

顔を隠しても、十二単はいついかなる時も人目に付くように出しておく。

 

もうさ・・・

さっきからずっと我慢してたけど、言っちゃうよ。

 

平安貴族めんどくせー。

 

でも、これが彼女たちにとって、将来幸せなお嫁さんになれるかどうかの最大のアピールなのです。

 

容姿や性格で殿方にアピール出来ない分、十二単の着こなしで異性を惹きつけました。

 

殿方の方も、十二単をこんなにオシャレな着こなしが出来る人は、きっと容姿端麗で性格も良いに違いない・・・と夜這いに勤しみ、歌を詠みあい、上手い返しが出来たら、カップル成立です。

 

こんな歌を詠み合ったのでしょうか?

「んなこたぁない

 

平安時代、異世界過ぎて、なおかつ昼ドラみたいにドロドロしてて面白く、本題すっかり忘れてました。(笑)

 

色を着る文化はいつから続いているか?

 

平安時代って10世紀なんですよ。

今は21世紀ですよね。

およそ1000年以上も前から、私たちは、季節によって色を着る文化があった。

凄い事ですね!

 

(参考URL)「かしこい生き方のすすめ」http://www.nttcom.co.jp/comzine/no029/wise/

(参考文献)「和の色のものがたり 季節と暮らす365色」視覚デザイン研究所