先日の湯川会(仮称)の講師の方が難病指定されている病気を克服された方で、
同じ病気に2歳の時からかかっていた子のお話をしてくれました。

2歳からだったので、本当に大変だったようですが、今は高校生くらいになっているのかな。


その子は自分の病名を言えないんだそうです。
治療はしてるし、何をしない方がいいとか、病気のことは分かっているけど
病名は知らないんですって。

それに対して「いい育てられ方をしましたね」って
講師の方がおっしゃって、
なぜか、そこで私の涙スイッチオン! ぽろぽろぽろ。


その子のお母さんは、その子を病人扱いしたことがなかったのですって。


よく分からないのだけど、本当にいいお話だなと思って泣けて、
そのことがきっかけで、いろんなことの認識が転倒しました。


例えば、今までだったら、
主治医は私を「大腸ガンのアメここさん」と思って接している
と思っていたと(私は)思っていたけれども、
今はそういう感覚はない。
一人の人間として見てくれているだろう、と思える。


あるいは、ブログ仲間の皆さんに対してもそう。

思えば、病気はきっかけにすぎなくて、
いつでも、私は病気のその向こうにいるその人そのものを見ていると思う。

単に病気だけのつながりであるならば、
同じ病気の人全員とつながっているはず。
でも、そうしてはいない。
人そのものを見ているから。


病気のことを忘れるという意味じゃないけど、
「大腸がんのアメここさん」として見られているわけじゃない
あるいは、他の人を「大腸がんの誰それさん」と見ているわけじゃない
と思えるようになった時から、なぜか楽になりました。


命名と形容ってやっぱり大事だ。

がんってやっぱり響きからして衝撃強すぎるもんね。
キティとか可愛い病名だったらよかったのに(笑)
大腸キティ(笑)


この間の<ポギリンツ>は、自分自身の反映だと思いました。
ポギリンツの物語はこれからも大事に育てていきます。


この間は、私が手放すべきことを書いた紙を
ポギリンツにポストみたいに入れて、
脇を流れる川に流したよ。桃太郎みたく。笑


そうしたら、雄株がないと実がならないはずのポギリンツが
また新しく実をつけていました!?


想定外の展開なのですが、
可能性ってこういうことかもしれない。
いつもとんでもないところからやってくる。
創造は想像から!



いつも読んでくださる皆様、ありがとうございます。
私とポギリンツの全存在をかけた光が私たちの行く手を照らしますように流れ星