今日だけを特別な日と思わない。
でも、あの日からの総量としての今日一日を噛み締める。
思えば、この3年間、個人的にもいろいろあった(大殺界だったし…)。
今日ちょうどこの綴じ目としての仕事を仕上げることも感慨深い。
さようなら、こんにちは。
がん告知を受けた時、
わたしはさしてショックを受けていなかった。
現実があまりに現実的すぎて、そこにわたしの感情とかが出る幕があるはずもなかった。
この感覚、何かに似てるな…と思った。
東日本大震災の時の感覚だった。
自然という大きな不思議が放つシャットダウンを、ちっぽけな存在として受け止める。
意外と受け止めきれるものだ。
あの頃も、自分に何ができるのかと模索したけれど、
今はもっとそのことが分からなくなっている。
でも、きちんと現実を生きること、それだけなのかなと思う。
とにかく現実に対して腰抜けだったわたしとしては
ただ誠実に生きていくしかない。
そんなことを改めて思った一日でした。
でも、あの日からの総量としての今日一日を噛み締める。
思えば、この3年間、個人的にもいろいろあった(大殺界だったし…)。
今日ちょうどこの綴じ目としての仕事を仕上げることも感慨深い。
さようなら、こんにちは。
がん告知を受けた時、
わたしはさしてショックを受けていなかった。
現実があまりに現実的すぎて、そこにわたしの感情とかが出る幕があるはずもなかった。
この感覚、何かに似てるな…と思った。
東日本大震災の時の感覚だった。
自然という大きな不思議が放つシャットダウンを、ちっぽけな存在として受け止める。
意外と受け止めきれるものだ。
あの頃も、自分に何ができるのかと模索したけれど、
今はもっとそのことが分からなくなっている。
でも、きちんと現実を生きること、それだけなのかなと思う。
とにかく現実に対して腰抜けだったわたしとしては
ただ誠実に生きていくしかない。
そんなことを改めて思った一日でした。