先日、膵臓がんを見つけてくださった公立病院へ診察に行ってきました。

胆管炎によるショック状態になった時にお世話になった病院です。

診察室に入るなり新しい主治医から『残念な結果になってしまいましたね。。』と言われました。

新しい主治医より、今後の治療についての提案がありました。

①無治療で、1ヶ月もしくは2ヶ月に1回の診察で経過を見ていく。
前回の抗がん剤でショック状態になったので、抗がん剤はやらない方が良いかもしれない。
前回のショック状態の際に、娘さんが異変に気付いて救急搬送されたから良かったものの、異変に気づかなかったら恐らく自宅で亡くなってしまっていたと思われる。

②抗がん剤をやる。
ゲムシタビンよりも強い抗がん剤になるため、前回の事を鑑みて念のため2週間位入院してもらう。
現在は身の回りの事は全て自身で行え
ていますが、抗がん剤投与により、体力的にもQOLが維持できなくなる可能性が出てくることを覚悟して欲しい。


私は主治医に抗がん剤をやった場合とやらない場合の余命を聞いてみた。

抗がん剤をやっても1年位、

やらなくても1年位


あのー、前の病院では
『抗がん剤をやらなかったら余命3ヶ月位、週単位で具合が悪くなっていく』と言われたのですが…。。


現在の主治医からは、『肝臓に何個も大きいがんが有るならばまだしも、お母さんは米粒1個の転移なので、無治療でも1年位は行けると思います。
それと、前の病院で抗がん剤をやってみる価値が有ると言われたそうですが、それはショック状態を見ていないから言える訳で…治療して経過を見てきた我々からしたら、本当に抗がん剤やるのが良いとは思えません。
なので、よく考えて決めて欲しいです。
1か月後にやっぱり抗がん剤をやりたいならば始めれば良いわけですからね。
あと、抗がん剤をやるのはお母さんご自身です。
治療の有無は、お母さんが決めてください。』


余命宣告には変わりないものの、無治療でも1年は生きられると聞いて、気持ちが随分楽になりました。

母方の兄弟に電話をして余命3ヶ月と伝えてしまっていたので、早速修正の電話をしました。

実は、余命の電話をした後、九州在住83歳のお姉さんの娘(私から見ると従兄弟)から電話が掛かってきたのです。

『母(83歳の母のお姉さん)が会いたがっているので、⚪⚪伯母さん(母の兄嫁)と家に行きたいのだけど大丈夫かしら??』と。

しかし、母は会いたがらなかった。

会うとかえって未練が残って悲しくなると。

そんな訳で、お断りしたらお姉さんも従兄弟も理解してもらえた。

しかし問題は⚪⚪伯母さんだった。

私は夜、電話を掛けてお断りした事をお詫びした。

すると…

『ちょっと私に話をさせてくれる!!
私はね、せめてお姉さんには会わせてあげたかったのよ、それでね、会ったらお母さんも気持ちが変わって元気になるし、会って良かったっていう気持ちになるかもしれないじゃない。』
と…。。

どうやら、こちら側が断ったことが気に触った様子だ。

私は丁重にお詫びした。

『そうですよね、私も会わせてあげたいと思ったんです。
しかし、本人が会わないと言って聞かない以上、私も本人の気持ちに反したことは出来ないなって思うんです。』

しかし、⚪⚪伯母さんの話は更に続く…。。

『うちの次男(千葉県在住)も東京に来たときに大変お世話になったから、会いたいと言っているけど、私は引き止めてる状態なのよ。。
少しでも会ったら元気付けてあげたいのよ。。』

私は仕方なく言った。。

『伯母さん、お気持ちは解るのですが、これは元気な私達の考えだと思うのです。
余命宣告された本人にしか解らない気持ちがあるも思うのです。
私の兄も母も、生きたくても死を選ばされるのです。
だから、死に向かっての覚悟というか、本人も気持ちの上での準備が必要なのかなと。』

すると、伯母さんは更にヒートアップ!!

『こんなことを言ったら、またあなたに怒られちゃうかもしれないけど、今後気持ちも変わるかもしれない、また会いたいと言うかも知れないから※△⚪□#※△⚪□# ~!!』

もう何を言っても無駄だと思い、そうですねって相づちを打って聞いてあげましたよ。。

その上で、
『伯母さん、今日電話したのは、私はこういうことを言うために電話したのではないんです。
伯母さんに謝りたかったのです。
それと、代替え案としてテレビ電話ではダメか聞きたかったのです。
母は、テレビ電話ならば良いって言ってくれていましたので。』

そしたら、⚪⚪伯母さんも少し穏やかになってくれました。


それにしても、この伯母さんに色々言われたことによって、母が万が一の時はどうなるんだろうと、先が思いやられる出来事でもありました。

遠方に住んでいるので、まさかこんなことを言う人とは思いもしませんでした。

次回に続きます…