療育に再び通い始めて最近気付いたことがあります
療育では毎回
〜なことがあった。このときはAくんの気持はどうだろう?なんて言ったらいいかな。反対にBくんの気持ちは?とそれぞれの立場から考える時間が必ずある
息子はよく両方の気持ちを理解して、言っていい言葉と言ってはいけない言葉も理解し
たしかにそうだ‥といった問われている一歩先を話すことが出来ている
それはとても綺麗で少し独創的で模範的
毎回良くできましたと言われますし、どこに問題があるのかという対応をなんとなくされてきたし、私も必要あるのかなと疑問に思っていたの…ですが
息子の問題はそこではないことに気づいてしまいました
相手が似た価値観を持った普通の人ならば問題はない
でもそんなに正しい人ばかりではない
集団ではむしろ正しさというのはある程度のルールなだけでさして重要ではなく
小学〜中学の幼い脳が集まる場所では特に
場を何となく面白く派手に出来る人が目立ち、その泥渦を中心に揺り動かされる
泥の中で遊んでる人たちと巻き込まれたくない人達の集団では正しさは殆どなんの効果もない
息子は優しいし、感情的にはよく🥲なるものの
人の気持はわからなくはない。対応も出来ている
相手の立場からというのもよく理解出来ている
一般的に正しいと言われているものというのを知っている
ただ
正しくないものを正そうとするし、平等に治そうとしがち
なんです
世の中、考えもしないような悪事をはたらく人もいますし、意地悪やいじめをする人、ルールを守れない人も残念ながら一定数います
普通の子はなんとなくそれがわかっていて、ある程度「そういう人なのねーお察しー」と適度に距離を取ったりスルーしたりして
自分の不利益になることを避ける傾向にあると思いますが
泥があるなら避ける方法を何故か自然と知っている
ですが正義感が強く、非差別主義、公平、平和主義のギフテッドは
そういう子たちにも
正論で勝負しようとする
そして
伝わらないから苦しんで泥で藻掻いて被害に合うんじゃないかと思います
私自身も若い頃まではそういう感じだったので、少しわかるところがあります(いい点としては敵も作るけどこらえ切れればいい友達も出来やすい)
私は悪くないのに、なぜなのかと思うことがよくありました
たしかに、確かに正しいのだけど
正義を振りかざすって気持ちがいいことでもあるんですよね
同時に自信のなさの一種の現れでもあると思いますし、一方的に攻撃されてる気分になるので攻撃し返したい気持ちになるんですよね
あとは被害者ぶることも出来る
https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w?si=72ppsHF21DmmE-VO
悪人の立場としては逃げ場がないし何を言ってるのか理解はできないし腹は立つし、そしてちょっとおもしろくしやすい
お互いいいことなし
なので療育先に話して、正義を振りかざしてもそれがわからない相手には効かないし自分自身が損をしてしまうこと
そういう人たちへの対応の仕方
反応を楽しむ人間は一定数いること、それに巻き込まれないようにするためにはどうしたらいいのか
をパターンとして取り入れていただくことにしました。
息子がいま学ぶ必要があること
・悪い人にも悪い人なりの正義がある。相いれなくていいし、一生分かり合えないから触れないことも優しさであることを理解する。
・悪い相手(気の合わない相手)への対応の仕方を学ぶ
・息子には少し気にならないほどのどもりもありますし、発信するときにごちゃっとして量が多いことがあるので、相手に伝わりやすい伝え方を身につけること
・段々とそういう人と関わることは減っていくこと
・自分にも相手にも完璧を求める必要はない
これができるようになれば療育でのブースターになるのではと思いました
「損をしないように生きる」「自分を守る」というのは私も痛い目に沢山あってやっと気づいたことなので、薄くは残ったとしても周りと上手くやっていけるくらいには改善していけるかなと思います。
そこに気づいたのも客観的に見られる療育のおかげ!迷ったけど、通ってみてよかった。
息子と夫にも話すと
確かにと言っていました
息子は自分が悪いわけではないんだと安心したようです
正義を否定された気分にもなるのかもしれませんね
大きく言えば宗教もそうですし
正義とはなにか
正しさとはなにか
家族でもよく話し合おうと思います
余談ですが
私はその泥の渦で楽しんでる人こそ
療育を受けるべきだと思う
泥は矯正ろ過器のようなところにぶち込むべきだと思ってしまいます
これも私が正義派だからなのか、私にはわかりません😅
ほしい!!
こちらのグレーラインとの組み合わせがかわいすぎる!
使いやすそう!
生理用パンツにおすすめ!後半はこれだけでも良くなりました!