バンクーバー・オリンピック・シーズン中、

高橋大輔選手の

フリー・プログラム『道』と


原作の映画『道』(フェリーニ監督)を

当時、見比べて思ったのが、


高橋大輔選手と

旅芸人ジェルソミーナって

似てるなあ、ということ。


ジェルソミーナを高橋大輔選手として

見ると、


ジェルソミーナの芸の最初の師匠であり

夫でもあるザンパノが

ニコライ・モロゾフ氏に、


ザンパノが刑務所に入って帰ってこない間に

ジェルソミーナに芸を教える綱渡り師が

パスカーレ・カメレンゴ氏に、

見えてきた。



綱渡り師はジェルソミーナを

「一緒についてくるかい?」

と誘うけれど、


まだザンパノに依存している彼女は

「なんの価値もない私は

誰についていったらいいの?」と

自分で自分の道を決められない。


綱渡り師は

道端の石ころにも価値はあると語り、

自分の道がわかるまで

ザンパノと一緒にいるようにと

助言して去っていく。


そのとき

「ジェルソミナ~、ジェルソミナ~」と

歌いながら去っていくのだけど、


そのメロディがどこか

讃美歌の

「主イエスの~、ほ~かには~

救いは~、あ~らじ~」という

メロディに似ている。



その後

戻ってきたザンパノと一緒に

ジェルソミーナは

旅の修道女たちと生活する。


そこで仲良くなった修道女からも

ジェルソミーナは

「あなた、本当は私たちと一緒に

来たいんじゃない?

来てもいいのよ。」と誘われるが

決心がつかない。



芸人としてのジェルソミーナが

最も輝いているシーンは、

彼女が

修道女たちの前で

綱渡り師に習った芸、

つまりあの名曲を

トランペットで吹くシーンだ。


あそこで

ジェルソミーナは

芸人として

最初の師匠であったザンパノを

超えてしまった。



そのことを悟ったザンパノは

嫉妬に駆られて

綱渡り師を殺害してしまう。


目撃していたジェルソミーナは

このままザンパノに依存するべきか

ザンパノから自立するべきか

葛藤する。


覚悟を決めた彼女はまず、

食事を摂る。


実は、ジェルソミーナが

ザンパノに「食え」と言われる前に

ものを食べるシーンは

ここが初めて。


ザンパノも驚く。


それまで彼女は

ザンパノに「食べていい」と

言われるまでものを食べない生活が

当たり前だった。


そしてジェルソミーナは

はじめて自分で自分の道を

選択する。


「ここがいいわ。

私、ここに住む」


と言ったっきり、

ザンパノと旅を続けることを拒み、

暖かい馬車の中ではなく、

そのまま道端で眠る。



  いかに幸いなことでしょう

  あなたによって勇気を出し

  心に広い道を見ている人は。


  あなたの庭で過ごす一日は

  千日にまさる恵みです。

  主に逆らう者の天幕で長らえるよりは

  わたしの神の家の門口(かどぐち)に

  立っているのを選びます。


  (新共同訳聖書 詩編84篇)




完全にジェルソミーナに

見棄てられたと思ったザンパノは、

彼女のそばに

彼女から奪ったトランペットだけを残して、

逃げていく。



その後、長い年月が過ぎ去り、

綱渡り師に習って

ジェルソミーナがトランペットで

吹き続けたあの名曲は、

人々に歌い継がれていく。



ザンパノはあることを知り、

後悔にさいなまれる。



ザンパノが逃げた後のジェルソミーナは、

ザンパノに習った芸ではなく、

綱渡り師に習った芸を演じながら

死んでいったこと。



ただし



彼女はなにも食べなかったために死んだこと。



「食べていい」と

ザンパノに言われるのを待っていたことを。


ザンパノからの自立を選択した彼女は

完全には自立できていなかったのだ。



この『道』の曲を

高橋大輔選手のプログラムに

選んだのは

長光歌子先生だそう。


カメレンゴ氏は、高橋選手に

この『道』を振付けたことによって、


それまでモロゾフ氏がつくりあげた

高橋選手のセクシーなイメージと

打って変わって、


無垢なキュートさというイメージを

つくりあげることに成功した。


どちらも

高橋選手が秘めていたものでは

あるけれど、それを、

フィギアスケートという言語として

コミュニケーションする方法を

教えたのは、

この二人が初めてだったことになる。



そういう意味で

私はこの2人の振付師が

高橋選手に振付けがプログラムが

とても好きだ。


芸人としてのジェルソミーナを

最も輝かせられたのが

綱渡り師に習った芸であったように、


フィギアスケーターとして

高橋選手の魅力を

より引き出せるのは、

(このブログを書いている時点では)

正直、カメレンゴ氏のほうかな?

と思う。


だけど


「食べていい」と

ザンパノに言われるまで

食べないジェルソミーナみたいに、


本当は今までずっと外国人コーチを

高橋選手が入れなかったのは

心のどこかで

モロゾフ氏が戻ってくるのを

待ってたからじゃないか


とか


だから今まで

頑張ってこれたんじゃないだろうか


とか


そんな風にも


見えてしまう、


高橋選手とモロゾフ氏が

ゴールデン・カップルだと

言われていた時期を思い出すと。



モロゾフ氏と

何らかの形を残さないことには、

高橋大輔選手にとって

次のステップへ進めない

といったものが

あるのかな?



あるなら、

それを応援したいな


という気もするし、



「でもジェルソミーナにはやっぱり

綱渡り師のあの曲だよねー」

高橋大輔選手と言えば

ブルースみたいな

ああいうプロだよねー


という気もするし。



複雑。



オリンピック・シーズン。


いったい


高橋大輔選手は

誰の振付で

どんなプログラムを

滑ることになるのか。



以上、

スケートヲタというより

文学ヲタ的な妄想でした。



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