最近仕事中によく考えている終末期介護について。

終末期における利用者への対応は、

家族にとっても、介護士にとっても大きな心の負担になります。

 

 

家族が利用者の体調を把握しておらず、終末期だということを認識できないことは、

利用者本人にも、家族自身にも、私たち介護者にも混乱を招くことがあります。

例えば、食事も摂れず、明らかに衰弱していて、上体を起こすだけでもやっとの利用者に対して、

家族が入浴をさせてくださいとお願いしたとします。

衛生面などを考えた時に、もちろん入浴は大切ですが、

それは利用者の体力がある場合の対応になるので、

こういった時に、利用者の気持ちや体調などを1から説明して、

家族に理解してもらうのは大切になります。

そうしないと、利用者・家族・介護士の間で対応の矛盾が生まれ、

全員にとって不満のみが残ってしまうからです。

 

利用者:

「寝ていたい。なんで入浴なんてしなくちゃいけないのか?」

 

家族:

「ずっとお風呂に入ってないなんて臭いし不衛生。なんでお風呂に入れないのか?」

 

介護士:

「利用者の体力的に負担が多すぎる。それに今のこの利用者の入浴は私たちにとっても大変。でも今入浴しなければ、もうこれから入浴することは出来なくなるだろうなぁ。」

 

この場合、誰のニーズを優先するかは明らかです。

利用者のニーズが一番大切なので、利用者を優先する必要があります。

私たち介護士からしても、座っているのでもゼィゼィ言っている利用者を入浴させるのは、

通常の入浴介助より、意識レベル確認や介助の素早さなどが必要になり

こちらの体力的にもやはり大きな負担になるので正直避けたいというのが本音です。

 

家族からすれば、きっと自分が何も出来ない分、

体だけでも清潔に保ってあげたいという気持ちから出る言葉なんでしょうね^^

利用者を大切に思う気持ちは伝わるのですが、

この時に介護側が本当に「今」利用者にとって何が大切かを伝える必要はあると思います。

 

そんな会話をしているといつも思うことは、

「終末期介護っていつから始まると数えるんだろう?」ということ。

スタッフの中でもそれぞれあって、

ある人は「ご飯を食べられなくなった頃から」

ある人は「車椅子に座ってられなくなって、ベットで寝たきりになってから」

ある人は「意識がなくなってから」などといろいろあります。

 

前に急変した利用者がいて、その利用者が病院から戻ってきた時に、家族が、

「医師に終末期だから何も出来るはないと言われました。穏やかに過ごせるようによろしくお願いします」

と言われたことがあります。

私たちも「なるほど。終末期として考えればいいんだ」と思いましたが、

それからゆっくりADLが落ちていって、この利用者が亡くなったのはそれから1年半後でした。

ただ、私たちの中でこの利用者に対して常に「終末期介護」という考えがあったので、

急変などがあっても慌てず対応することができました。

そのおかげで質の良い介護を最期まで提供出来ていて、家族も満足してくれました。

 

私は、他のスタッフに比べかなり早い段階で終末期介護だと判断している方だと思います。

それは、きっと私自身の心構えに必要な時間が他の人より長いのだと思います。

急変した場合に備えて、常に自分の平常心を保ちながら仕事をしなければならないので、

終末期介護として対応することは私自身の心のバランスを保つのに必要です。

また、終末期介護として利用者に接することで、その日に利用者に必要なケアや、

いろいろやってあげたいことなどを惜しみなくすることが出来るので、

自然と自分の介護士としての対応の質も上げることができます。

 

 

どの利用者も長く施設に入所されていて、私からすると半分自分の家族のような存在なので、

やはり亡くなられた後に、あれをしてあげれば良かったと後悔することがあります。

自分の中で終末期介護の始まりの線引きを早くすることで、

それまで以上に利用者のことを考えた心の寄り添った介護を提供できると思っています。