ある人との別れを前に | ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

数年、ギタリストとして、講師として感じた事や経験に基づく、ごく主観的なギター奏法についての考えや
ギターにまつわるいろんな事についてのブログです。
たまにはギターには関係ない事も...。

こっちに来てからずっと習いに来ていた方の奥さんから電話を頂きました。

その方は定年過ぎくらいで、半年くらい前に家の都合とかでレッスンを辞めていました。

電話の内容は「主人が癌で余命1〜2カ月と言われました。
今は自宅に帰ってきていますがこれが最後の退院だろうと。
音楽が大好きな人だったのでお時間ある時で構わないのでギターを聴かせてやって頂けないでしょうか?」という電話。

返す言葉が見つかりませんでした。
ただ「伺わせて頂きます。」とだけ。
切ないなぁ。
人生ってなんなんだろう?

サイモン&ガーファルクルとかビートルズとかが好きで、ライブにも仕事の帰りに何回か来てくれました。
前の家のベランダで、レッスンの後に一緒に素麺食べたなぁ。
最初はアコギをやっていたけど、何年か前にFenderのストラトを買われてずっと使われていた。
D7(9)のようなコードが中々押さえられなくて。
ブルースもお好きだったけどブルース進行が中々覚えられなくて。
思い出がたくさんあります。
レッスンを辞める理由は家の事情で、時間がとれなくなったと聞きました。
その時から具合が悪かったんだろと今になって思います。

ギター持ってご自宅にお伺いしようと思っています。
残りの人生、ギターが好きで良かったと思ってもらえるといいなと思います。

人はいつか必ず死にます。
私は両親がまだ生きているので死というものがまだよくわかってないのかもしれない。
頭では近いうちに迎えるであろう親との別れもまだまだ生きてるとどこかで思っていてつい甘えてしまう。
出来の悪い子ほど可愛い、とよく言われます。
私は未だに親を困らせてばかりいる気がしています。
大学も途中で辞め、反対していた音楽を続け、離婚もして。
でも最期くらい幸せな息子の姿が見せられるといいな。
そのためにはもう少し長生きしてもらわないといけませんね。

そして必ず迎える自分の人生の最期の時に「幸せな人生だった」と思っていけたらいいなと思っています。