おはようございます
今日は残念ながらの雨です
といっても外出しなければならないので
数回履いて履きおさめのレインブーツに
傘をさしてテクテク歩いて行ってきます
さて私と旦那さんはひとりっ子なのですが
小さい頃私は2段ベッドにずっと寝ていて
下で寝て上はおもちゃがたくさん置いてあり
ちょっとした基地になっていました
他の家に遊びに行ったとき
2段ベッドの上下に寝ている姉妹がいて
そういう風に使うのだと知り帰ってから母に聞きました
どうしてうちはきょうだいがいないのに2段ベッドなの
どうして私にはきょうだいがいないの

母は何かしていた手を止めて言いました
頑張ったんだけどね出来なかったの
ごめんね
きょうだいほしかった

頑張っても出来ない
その意味はピアノの課題で苦戦していたから
なんとなく分かる年頃だったので
小さながらもなんとなく察知して
ひとりの方がいいかな
よそはいつもケンカしてるし
もしかしたらこれから淋しいと思うことも
あるかもしれないけど
いつかパパとママみたいに夫婦になれる人が
現れてきょうだいではないけど家族になれるんだよ
キャンディにはまだちょっと難しいかな


うーん
ママはどこに行くの

ママもパパもいるけどずっとは一緒にはいられないの
でもその時キャンディの隣に
パパみたいな人がいてくれるから大丈夫だよ
もう少しだけ大きくなったらまた話そうね
そのあとは覚えていませんが
きょうだいうんぬんより
両親がずっと一緒じゃないということが印象に残りました
なんとなくもう聞かないでいいやと思いました
義両親は息子であり私の旦那さんを長男として
授かるまでに5年かかっています
今でいう卵管通水検査のようなものはあった
ようですが義父もそろそろ検査にと言われていたら
ようやく授かったようです
もちろん時代的に自然妊娠ですが5年という歳月がかかり
その後も頑張ったけど出来なかったようです
私は治療をしていることを実母に始めて告げた時に
ちょっとだけ封印を紐解き聞きました

私って産まれるまで何年くらいかかったの


そうねぇやっぱり5年くらいはかかったかな
私に会うために両親が苦労して頑張ってくれたこと
2人目が出来なくてさらに苦労していた事
私たちは1年ちょっとの治療で辛いと言えないこと
もし両親のどちらかに原因があったら
当時は治療法はなくこの世には生まれて
これなかったかもしれないこと
体外受精しか道がない私たちがもし当時であったら
妊娠はおそらく不可能であったという事
生殖補助医療(ART)にあらためて感謝すべきだと
その思いでずっと今日までやってきていますが
それでもそうはいっても
なかなか実らないことに全く不安がないわけでは
当然ありません
それでもやっていくしかないのも
また私たち夫婦にとっては当然なのだと
ぐるぐる思いは巡っているのです

今日は残念ながらの雨です

といっても外出しなければならないので

数回履いて履きおさめのレインブーツに

傘をさしてテクテク歩いて行ってきます

さて私と旦那さんはひとりっ子なのですが

小さい頃私は2段ベッドにずっと寝ていて

下で寝て上はおもちゃがたくさん置いてあり

ちょっとした基地になっていました

他の家に遊びに行ったとき

2段ベッドの上下に寝ている姉妹がいて

そういう風に使うのだと知り帰ってから母に聞きました

どうしてうちはきょうだいがいないのに2段ベッドなの
どうして私にはきょうだいがいないの


母は何かしていた手を止めて言いました

頑張ったんだけどね出来なかったの
ごめんね
きょうだいほしかった

頑張っても出来ない

その意味はピアノの課題で苦戦していたから

なんとなく分かる年頃だったので

小さながらもなんとなく察知して

ひとりの方がいいかな
よそはいつもケンカしてるし
もしかしたらこれから淋しいと思うことも
あるかもしれないけど

いつかパパとママみたいに夫婦になれる人が

現れてきょうだいではないけど家族になれるんだよ

キャンディにはまだちょっと難しいかな



うーん
ママはどこに行くの

ママもパパもいるけどずっとは一緒にはいられないの
でもその時キャンディの隣に

パパみたいな人がいてくれるから大丈夫だよ

もう少しだけ大きくなったらまた話そうね

そのあとは覚えていませんが

きょうだいうんぬんより

両親がずっと一緒じゃないということが印象に残りました

なんとなくもう聞かないでいいやと思いました

義両親は息子であり私の旦那さんを長男として

授かるまでに5年かかっています

今でいう卵管通水検査のようなものはあった

ようですが義父もそろそろ検査にと言われていたら

ようやく授かったようです

もちろん時代的に自然妊娠ですが5年という歳月がかかり

その後も頑張ったけど出来なかったようです

私は治療をしていることを実母に始めて告げた時に

ちょっとだけ封印を紐解き聞きました


私って産まれるまで何年くらいかかったの


そうねぇやっぱり5年くらいはかかったかな
私に会うために両親が苦労して頑張ってくれたこと

2人目が出来なくてさらに苦労していた事

私たちは1年ちょっとの治療で辛いと言えないこと

もし両親のどちらかに原因があったら

当時は治療法はなくこの世には生まれて

これなかったかもしれないこと

体外受精しか道がない私たちがもし当時であったら

妊娠はおそらく不可能であったという事

生殖補助医療(ART)にあらためて感謝すべきだと

その思いでずっと今日までやってきていますが

それでもそうはいっても

なかなか実らないことに全く不安がないわけでは

当然ありません

それでもやっていくしかないのも

また私たち夫婦にとっては当然なのだと

ぐるぐる思いは巡っているのです
