娘の結婚に猛反対したのは何故?


先に答えをずばりと話しましょう。


愛情豊かな芯の強い経済観念のしっかりした娘に支えられていて、娘に甘えてきたからです。


娘はわたしに依存はしておらず、母親が娘に依存していたからです。


情けない。


借金が1000万円。

2014年12月、借金が多いことにハタ!と気がついてしまった。


自分が看護学校に行くときに、貯金も保険も全て使い切り、さらに600万円以上借金を作ったわけです。


何年かたち、借金も順調に返済しつつも、子供3人いるわけなので。


よく家にお金がないから、学校に行かなかったという話を聞きますが、


「え? なんで? 奨学金借りれるなら借りて働いて返せば通えるんじゃないの?」


と、いつも呑気に思っていたから、3人の子供たちには、大学も専門学校も通いたいところに、奨学金を借りられるだけ借りて

行きたい学校にだけは通わせてあげたかったし、今もその気持ちは変わらない。


何か学びたい!と言い出したら、喜んでます投資したい。


と、こんなふうに経済観念に関しては、ちょっと怪しい私。


欲しいものは、ちゃっちゃと買ってしまったり、食べるものは我慢ができなかったり。


娘は幼い時から

もらったお小遣いや落とし玉を貯金しており、沙帆子銀行と家族に呼ばれていた。


育ての母も年金暮らしで、3人の食べ盛りの子供たちを育ててくれていたものだから

「年金の日まで、沙帆子、ちょっと10,000円貸しておいてくれる?」


てな具合。


娘は喜んで貸す。


何故ならば

「だって、おばあちゃに10,000円だけ貸したのに、返ってくるのは15,000円だよ! 」


小1からピアノは嫌いでも、ソロバン塾は大好きだったのがよくわかる。


2014年、借金の重さに気がついて、わたしも経済観念をなんとかしなくちゃなぁと思っていた。


娘もお小遣いは自分でなんとかしなくちゃと、バイト時間が長くなっていった。


看護学生にとっては、バイトする時間は結構キツイ。


かなりな勉強量と実習準備のための予習など、精神的にもきつい学校なのに。


夜11時まで、スーパーマーケットで働いていたのだ。


夜11時までということは、後片付けやら着替えやら、あいさつやら、店の掃除してやらしてたら、返ってくるのは深夜になる。


わたしも夜勤をして、娘も帰りが遅い。

看護学生なのに、勉強させてあげたい、こんなに夜遅くまでバイトさせたくない!


お金に余裕があれば、こんなことさせなくて住むのに!と、自分のだらしなさに腹が立ったし、なんでこんなに無駄使いをする性格なの、じぶん!と、じぶん嫌いの絶頂期だった。自己肯定感マイナス100。


ある晩のこと。

娘がまだ帰ってきていない!

もう12時だよ!


え? こんなに遅い時間まで働いてるの?


そう思っていたら、娘が帰ってきた。


「まあ、沙帆子、こんな時間まで?  

ごめんね。お小遣いも自動車学校の費用も出してあげられなくて……、お兄ちゃん2人には自動車学校の費用出してあげてたのに、沙帆子だけ出してあげられなくなって」


「おかあさん! あのね、レジを打つだけでお金がもらえるんだよ!  こんな嬉しいことってないよ!」


笑顔で娘は、本気でそう言ってるのだ。


レジって楽しいのかとさえ、思えるほど笑って答えてる。


娘の爪の垢、わけてほしい。

と、思った。


イヤイヤ働いている親に比べて

レジを打ってバイト代をもらうことを大喜びして働いている娘。



あまりにもショックで忘れられない娘な言葉で、この話は過去に何度かしてきたが、

改めてここに遺書的ブログなので

記録しておこう。


そういう娘なんです。


自立心、経済観念、愛情、段取りの良さ、一人でも雪山登る勇気、兄2人に「家族でいちばんオトコマエだよね」と、言われる娘。


色白で繊細。姿形は美しい。

控えめで出しゃばらない。

タヌキが道端で死んでいたら

「クルマ止めて!」と言って

クルマから降りて、

道路で血だらけになったタヌキを

河原の野原に葬ってあげる。


とても真似ができない。

トンビが鷹を産んだと親戚からよく言われたが、まさにその通り。


娘は、わたしがなりたい理想の女性像だった。


ブログはやってない。


ブログはやらないようなタイプ。

わたしが自撮り写真を載せると

「お母さん、自撮り写真を載せるのは、ナルシストだと敬遠されちゃうよ」

とか、

わたしはアスペルガー


街中で知り合いに会い、得意なヘルス相談になると


娘がヒソヒソと耳元で注意してくれる

「お母さん、アスペルガー丸出しだよ、街中だから込み入った話は短めに」


ロサンゼルスマラソンに旅立つ朝には、

バスの切符、飛行機の切符、時間管理、

娘が確認してくれた。


そんなもんだから、わたしは母に甘えられずに育った分、娘に甘えて母親として君臨していたのだ。


娘がなにより頼り甲斐がある存在。

夫よりも、兄2人よりも、娘さえいたら怖いものなしだった。


「おばあちゃんがね、お母さんのそばでいてあげなさいよ、遠くへお嫁さんに行ったりしちゃダメだよって何度もいうんだよ」

と、話してくれた。


心の中で、おばあちゃんいいこと言うね、その通り、お嫁さんとおしゅうとさん関係は疲れちゃうだろうし、娘のそばで娘の孫を抱きしめて可愛がり、娘の出産にハラハラし、、


娘さえ近くにいてくれたら、十分幸せ。


そんなことを潜在意識的に信じてた。


ある日、付き合っている人から結婚を申し込まれて悩んでるという。


衝撃!

しかしまだ望みはある。


県内の人なら、遠くに行くわけではないし、結婚したいなら相手にもよるけど反対する術はないとは思いつつ、内面はザワザワ。


「広島のひとなの」


「! 広島?  」


「そう、私は高知が好き。高知を離れて暮らすなんて考えたこともない、広島に行ったけど、住みたい街ではなかったし、結婚って、まだピンとこないんだよね。

でももう一年以上待たせてるから、どうしようかなぁって困ってるの」



「結婚って、悩むもの?

結婚ってしたいからするものでしよ?

悩む結婚なら、まだ早いってことだからやめときなさいよ。待てないっていうならそれまでの男だよ」


と、鼻息荒く、反対の意を表明する私。なんかちょっと焦り気味。


息子2人にも手を回したりした。


「悩む結婚ってしない方がいいよね、ね?

そう思うでしょ? 貴方たちも、兄からの意見として、そう言って止めて」


かなり腹黒い母親だと今気がつく。


「反対、反対、絶対、まだ早いよ」


心の中で騒いでいる私。


でもひとりお布団の中に入ると

直感は並々ならぬものを持ってるわたしのこと。


泣けてきて寂しくてこれからの人生が怖くて楽しみをすべて奪われていくようで、希望がなくて、娘の孫を近く頻繁に見ることができないなんて地獄のよう。

毎晩、むすめの嫁入りを想像して泣いていた。

食欲は落ち、げっそりする日々が半年くらい続いた。


2020年12月30日

展開があった。


2021年のお正月を2人でキャンプして過ごすという。

大晦日イブの30日に、広島から娘の彼がやってきた。


親に会う予定はなく、家の近くのコンビニまで迎えに来てるから、出かけてくるね、と娘が言った時。

「そこまで来てるんなら、その大荷物持っていきがてら、顔を見せてもらいます」


そして、トヨタ黒のラブフォーから彼氏が降りてきた!


ささっとマスクを外し、わたしに頭を下げている。


「はじめまして、あの、娘さんと安全に気をつけてきます。すみません……」


何を言ったか覚えていない。

そんなようなことを言った。


マスクを外した顔。

はじめましての声。

立ち姿。

全体の雰囲気。



タイプだった。


「なんて素敵なひとなんだろう!」


心の中で、ザワザワがいっきに

この人が家族になってくれるなんて!ステキ!ワクワク!


この人なら、アメリカで暮らそうが、スウェーデンに連れて行こうが、オッケーだよ。

娘をよろしくお願いいたします!


わたしが単細胞なの?


人生はわからない。


娘の彼氏を見るまでは


「ぼくの妻の沙帆子です、なーんていう奴がいつか現れると思うと、憎たらしいこと請け合い! あんたの妻になんかもったいないよと言ってやりたいよ」


とか、友人に話してた私。


これから結婚する人にアドバイスしたいです。


貴方の彼女のお母さんに

早い段階で会うことをおすすめします。

結婚がスムーズに進むと思われます。



本当に娘の彼氏は素敵なひと。


声をいつまでも聴いていたいソフトボイス。

娘以上に、愛情深い。


三浦春馬を彷彿させるような清潔感。





娘が一人で大山登山をしたときに

同じく一人で大山登山をしていた彼と

頂上で出会ったらしい。


そして頂上で一緒にお弁当を食べてからの付き合いとのこと。


出会いもいけてます。

娘はいい子だから、人生ついてる。

親のわたしも安心。


反対したり、寂しくて何日も布団に入れば泣いていたけれど。


その正体をつきとめたのは、

依存症という言葉。


何かを寂しがったり

束縛したりするのは、相手への依存からくるというもの。


娘をそばに置きたがるというのは、依存だ。


依存している?


そうかもしれない。

母の介護も娘がいたから、やり遂げられたのだ。


経済的にも娘がいたから切り抜けてきたのだ。


夕飯的にも娘が段取り良く下ごしらえしていたから、なんとかなったのだ。


アスペルガー丸出しに気をつけるようになったのも娘がいつも

「あはは、アスペルガー本領発揮とはそれだよ」と笑い飛ばしてくれたからだ。


娘を母を慕うようになついていたのだ。


娘もたまったもんじゃなかっただろうなぁ。

だから、一人で山によく登りに行ってたのかなぁ。


それも雪山に、重たい一眼レフカメラを持って。

オトコマエな娘。


そばにいて欲しかった。


月に一度は2人で映画を見にでかけ、

洋服を買うときには、2人でショッピング

雑貨屋さん、ペーパークラフト屋さん、カフェ巡り


娘との楽しい日常は


2021年4月9日に終わってしまった。


コロナ騒ぎがあり、結婚式は

2022年10月22日


場所は大山の山の上。



みなさんには娘さん

いらっしゃいますか?


母から愛情をもらえなかったと思い込んでいたわたしが娘を通して

母の愛情を知ることができたし、


いつの時代も

子は親を超えるね。


娘の話をすると

 自慢になってしまうようで

恐縮しますが、


何かに依存して苦しむ場合のヒントになれば。


そして、いいなぁと思っているものは素直にいいなぁと言いたい伝えておきたい。


わたしの娘の話でなくても

他人の話でも


素敵なものは素敵だと笑えるところが好きさと


佐野元春オタクのわたしは

そう思います。



素敵なものを見ていたい。

読んでいたい

食べていたい

ステキな時間をお過ごしください。


愛するものが離れて行く時、寂しく悲しがるのは依存です。

愛するものが愛する人に出会って楽しい時間を過ごしていくのなら、親として喜ぶのが本当の愛。


束縛しているから、間違っているから、ザワザワと感情が騒ぎ出す。

失う恐れという恐怖の正体をきちんと見つめれば、


「その感情、変だよ、おかしいよ、違うよ」という

心からのメッセージなの。


悲しがるのは

間違い。


寂しいのは仕方ない。だけど喜んであげよう。


幸せになるんだから。愛するものが。


近くにいて、愛するものにも出会わず、親のそばで暮らすことよりも


離れていても、楽しい人とともに語り合う相手と幸せに人生を歩いているほうが、


いいよね。


娘からの自立。


この年齢で、自立。


我ながらいつも情けないんです。