歳を重ねるごとに1歳ずつ捨てていけるんだよ
毎日、体内組成表示つきの体重計で体重を計ってる。
実年齢60歳、身長157センチと入力して
計る。
42キロ、体脂肪やら骨量やら筋肉量が出てきて、最後に体内年齢が出る。
その表示によると35歳。
ちょっといい感じに嬉しいね。
おそらく肥満してる人とかだと実年齢よりオーバーしちゃうのかも。
夫も37歳だった。夫はアーユルヴェーダやってないわけだから、いちがいにアーユルヴェーダのおかげとは言えないけれど、
でもね、アーユルヴェーダって特別な健康法ではなく、古来から伝えられている当たり前な健康法。
夜は10時までに寝て、朝早く起きて日中は出来るだけ体を動かす。
旬のものを腹八分食べて、人に会うときにはその人が喜ぶ贈り物を用意する。
乾いたらオイルマッサージをして手当をする。
思考の嘘に騙されないように瞑想する。
縮こまりがちな筋肉をヨガをして伸ばす。
生命力のあるものを食べる、レンジでチンしたものは食べない、添加物避ける。
ごく普通の健康的なことをやってれば、歳を重ねることは老化イコールではない。
老化とは間違った路線を歩んでいますってこと。
そりゃあね、白髪になったりシワはできたり、疲労回復に時間がかかったりするのは、肉体という物体を脱ぎ捨てて、転生するためには、朽ちていくのは自然の摂理な訳で、たるみやシワを抱えつつ、オーラや雰囲気はフレッシュで、少女のような楽しみを持って生きていく方法もあるし、そっちフォーカスするかしないかだよね。
お給料だけで仕事を選んでしまったりすると、悲劇が待ち受ける。
心のストレスは肉体にも影響及ぼす。
負の車輪が回り出すと、心も体も「間違ってるよ!」と、知らせたくて
痛み発信が始まる。いてて、ジリジリ、ピピピー!
痛みがあるうちが花。
対処できるからね。
麻痺が始まると危険。
アーユルヴェーダ思想を生活に取り入れてからは、花粉症、老人性乾皮症、慢性膀胱炎、貧血などの体質はすっかり改善されてきた。
しかし、もう一つ、ちょっとシビアな症状が残ってるの。
37歳の時、追突事故にあってから、腰椎滑り症になったみたいで、コルセットをつけて治ったように見えたけど、その後ね、歩いていると、下半身の感覚が麻痺しちゃうことがあって、受診すると腰椎4と5の背骨の積み木がずれてるとのこと。
だから、神経の通るところが狭くなってしまって痺れちゃうという。
治すには手術しかないらしい。
「嫌だ嫌だ! 絶対に手術なんて受けたくない!」
ずれた骨はどうやったら元に戻るんだろう?
カイロプラクティク? 整体? 鍼? お腹周り、背中周りの筋肉?
痺れが起きるのは、たまになので、実は
肉体的問題以上に、精神的なものが
関わっているんじゃないか?と思ったりする。
腰痛の原因も心因ストレスが原因のことがほとんどらしい。
背骨がずれてるとか、曲がってるとかでも痺れも痛みもない腰の曲がった人もいるわけだしね。
私は地に足がついていないとよく上司や先生から言われてきた。
ふわふわしていて、つかみどころがなく、何を考えているのかわからない。
たまに考えを聞くと不思議ワールド。
そりゃそうかもね。
やり過ごして生きてる感じだから、空虚でナンセンスな笑いを発見することが楽しいと感じてる。
じぶんの力で生きてないからだと思う。
じぶんの力で仕事を得て、その仕事を愛せたら、きっと背骨はずれていようとも
下半身麻痺は起こらない。
ということに信念を持っているわけです。
そう、これまでずっと仕事をしてきたけれど、心底仕事を愛したことはないようだ。
「あー、明日は休みだ、嬉しい」
と感じる仕事がほとんど。
一時期に、救急外来の同僚たちがとても好きで、仕事が休みだと会えないのが寂しく思ったりしたことがあった。
あの時は、肉体疲労は極限というまで、長時間労働の日々だったのに、こころも体も元気そのものだった。
歳を重ねるたびに、着ぐるみを脱ぎ捨てていく。
もういいです。
歳をとると、本来の姿に戻りやすくなる。
わがままにもなるけど、そのわがままは周りを不幸にするのではなく、わがままいっぱいな自由を手にした姿は、ひとにエネルギーを与えるひとになれると思うんだよね。
だから楽しむことは、みんなの使命なんじゃないかな。
心がはねるような元気な姿。
訪問看護をしていて、
もし私が寝たきりなら、
ケタケタ笑って、この子なにがこんなに楽しいんだろう?っていうような女の子のヘルパーさんにきてほしい。
おしゃべりで、くだらないことでも笑ってばかりいるおばさんのヘルパーさんにきてほしい。
楽しむことがどんなに人生で大事なのか、
愛する人たちに伝えたい。
って言っても、周りの人たちはとっくにそんなことわかってて、私だけが楽しめていないのかもしれないね。
私は本を読むのが好き。
昨日はノウハウ本をメルカリ出品して得たメルペイで、2冊ジャケ買いしてきて、ちょっと心ウキウキ。
本を読んだらね、その本に書いてあることを実践しなけりゃ意味ないよ!と、よく2人の本を読まない母たちが私に小言を言ってたなぁ。
ほんとそれ!なんだけどね。
いいと思った本の中身は、だいたいやったりしてきたんだよ。
赤毛のアンの真似をなぜしなかったんだろうって思う。
赤毛のアンは、もらわれてきた家のおばさんに心を閉ざすことなく、ぶつかって愛して、本当の親子以上になってた。
臆病風を吹かさないのがアンだよね。
私は50年以上、臆病風を吹かせてるなぁ。
勇気がない。引っ込み思案。
私のこの世の課題は「勇気」だと思う。
だからあんなに勇敢な母親2人の元を選んで生まれてきたのだ。
ヤクザにだって立ち向かえるような育ての母親だった。
実の親も負けてなくて、職場で
「口を動かすなら手を動かせば?」と憎まれ口をいって、一部の人にしか好かれないような男前な人だったし。
どちらも嫌われる勇気満々の人だった。
勇気あるひとになりたい。
勇気出せ、じぶん。
勇気出せ、子供たち。
嫌なことは嫌と言おう。
昨日は大安吉日で、蔦屋書店に販促に来ていたドコモのお兄さんに
ゴーヤ5本、リュウキュウ2本、じゃがいも5個、ピーマン10個以上、紫キャベツ1個
「これ、あまっちゃんたんですけど
もらってもらえませんか?」
「喜んで! 嬉しいなぁ!」
自転車のカゴいっぱいの野菜を持ち帰ってきたのでした。
落胆モバイルから、ドコモに変えてあげたくなっちゃいましたよ。
変えようかな。
少し高くてもお金を渡したい会社はどっちかな? の下調べして。
あはは🤣
若いお兄さんだったけど、ひとつ気に入らないのは
「おかあさん、野菜持っていきませんか?」っていうのよね。
アタシあなたのおかあさんじゃないし、マダムと言え!とまでは思わないけど、
おばさんって失礼だから、おかあさん?
お嬢さんは逆に無礼だけど、はて?
なんて声かけられたい?
みなさんは、なんて見知らぬ人から、なんて呼びかけられたい?