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変革への手紙

我、何を想う

先日ニュースで原発再稼働反対デモが行われたことが報じられていた。
何でも一人の介護職員のTwitterの呼びかけで始まったそうな。

再稼働反対の人達ってそもそも原発が100%安全だっていうことを本気で信じてたのでしょうか?


「安全が確保されていないのに」と言いますけど100%の安全ってこの世のどこにありますか?

本当か嘘か分かりませんが、このままだと電気供給量が足りないそうです。これだけ電気に依存した世の中で電気を止められた状態を享受できますか?

反対運動を呼びかけるTwitterに書く媒体も電気が必要でしょ?

反対するのはいい。しかしそこに電気に依存しない生活を今する覚悟がありますか?
いや、今あなた電気使ってませんか?

反体制という姿勢はそれなりの覚悟があって、そこに共感を得られるものだと思う。
残念ながら、私が知る限り世間の再稼働反対運動にはその覚悟が感じられない。

例えば集まった人から節電の確約をとり全面的に節電協力をする、という姿勢を示すなんてどうでしょう。
「私達もあなた達を選挙で選んだ責任がある。原発を容認してきた責任がある。電気自動車をエコエコ言ってた。だから私達も電気を使わない不便を引き受けるので再稼働はやめてくれ。」っていうのはどうでしょう。


そもそも電気供給事業を半独占していた事にも問題があり、単なる原発の安全性や再稼働問題にとどまるものではないはず。


"介護職員から"という事で気になりました。
計画停電となって在宅酸素や吸引器、人工呼吸器等電気なしでは生きられない人もいる。電気で水を汲み上げる施設だと水も止まる。職員の通勤は大丈夫か?等色々考える中で、"介護職員から"と報じられたので気になりました。

結構大人しめに書いてしまった。

続く・・・・かな?



警告どおり計画どおり/佐野元春
11日間の研修終了。
長かった。
しばらくこんなまとまった研修は受けることはないだろう。

スペシャリストの道は長い。

行動は変容するか。

受講生の皆さん講師の皆さんお疲れ様でした。

もっと書くことあるけど今日は疲れたのでこのへんで。

Band on the run /Paul McCartney
しばらく遠ざかっていたこのブログ。

自分に向き合うのが怖かった。 のか?

とりあえず、2月からは他区の事業所に転勤となっている。3回目の転勤だ。最後の聖戦か。

異動直前に強烈な出来事にあった。
5年誰にも相談できないまま責任ばかり重くなってさぞかししんどかっただろう。
そんな環境に置いて申し訳ない気持ちしかない。


何かを取り戻すきっかけになればと、主任ケアマネの研修に行っている。仕事に活用する場面が訪れるのか。それともこの研修が本当に趣味のままで終わるのか。


そして、このまま事務屋になるのか?盲目的に働くことで見えてくるものがあるのか?


転がる石のように生きるってどんな気分ですか?
Like a Rolling Stone /Bob Dylan