無意識から創造されるものに芸術性は認められない、
というのが芸術家たちの言い分である。
つまりそれは草や木と同じ自然なものであるからだ。
顔のパーツが全て左右どちらかに集まったピカソの描くヒラメみたいな人の顔も、
ダリの描くグニャリとゆがんだ時計も、
全ては意識の産物なのである。
(大好きな清のおどろおどろしい『富田林の花火』、PLの花火大会ですね)
いやしかし表題は愚問ですな。
ダリやピカソやタローの絵画が『芸術』の枠に収まるものだとしても、
山下清のそれはそんな限定された枠に囲まれる必要すらない。
さて今日は国民の休日なのでノンビリしますが、
夕方からは地元の仲間の飲み会