この本は2004年6月1日に起きた長崎県佐世保市立大久保小学校6年生女児が同じクラスの級友(女児)をカッタ―ナイフで切り、殺害した事件について書かれたものである。


 被害者御手洗(みたらい)怜美さんと加害者女児(A)はお互いインターネットの掲示板にハンドルネームを使用して書き込みをしていた。その中で怜美さんの書き込みに自分が否定されているような錯覚を抱き、恨みを募らせ犯行に及ぶに至ったと長崎家裁佐世保支部は判断した。


 1年前にも同じ長崎県で中学2年生の男子生徒が4歳の子供を誘い出し、駐車場から突き落として死亡させる事件があったばかりで県教育委員会は校長との対策会議が続けられていた矢先に起きた事件だけに関係者に与えた影響は大きい。


 昨年末に起きた埼玉県三郷市の中学生女性徒と千葉県松戸市の小学生女児が男子高校生にナイフで切りつけられ重軽傷を負うという通り魔事件があった。この殺人未遂事件を起こした高校生も動物を殺したりしていたいたが、今度は人間を殺してみたかった、と言っていたという。


 神戸で起きた連続児童殺傷事件ー酒鬼薔薇事件ーの容疑者も14歳の中学生だった。これらの事件の加害者に共通して言えることは「人を殺す」ということに対する罪の意識の希薄さである。詐欺、窃盗などさまざまな犯罪があるが殺人を犯すことほど重い罪はない。罪の重大さを自覚できないような低年齢の子供がそういう事件を起こしてしまうことの怖さを小6同級生女児殺害事件に見た。


 事件後、3か月にわたり加害女児は裁判官や家裁調査官、保護者から事件に対する数えきれないほどの質問を受けた。しかしながら被害者の命を奪ったことの重大性や、その家族の悲しみを実感することができないようだという。


 被害者の父御手洗恭二さんは、加害者の女児は自宅にも遊びに来たことがあり、娘のよきクラスメートだと思っていただけに、どうして最愛の娘を殺害するまでに至ったのかどうしてもわからないでいる。加害者が顔も知らない女児だったら憎しくて仕方ないだろうが、よく知っていただけに怒りの矛先を本人にぶつけられないところにやりきれないものがあるに違いない。


 加害女児は12歳にして自ら小説を書いていた。「バトル・ロワイヤル」でクラスメートがさまざまな武器で殺し合うシーンがある。「殺す」という言葉が何度も出てくる。自分が書いていた小説の世界と現実の区別がつかなくなったところに、このような悲劇を生む遠因だったように思われる。

 

 精神も肉体も未発達段階の子供が見たり触れたすべきでない情報やモノが多すぎ、それを消化できないでいる子供がフィクションと現実の区別が曖昧となって深刻な事件を起こしてしまうケースが増えている。その低年齢化に法律が追いついていないのが現実だ。