3.11以降めまぐるしく変化する世界。

とてつもない膿出し。
それを知る者と知らぬ者。

人はいつからあまり考えなくなったのだろうか。
「これが正しいよ。」
と教科書に書かれたことが正しく、倫理も常識も流行すら意図も簡単に作られてしまう。
僕らが変わらなければならない第一歩はそこなのではないだろうか。

勿論、人を殺したり傷付けたりするのは良くないと思うけれど、そもそも人の価値観は様々である。

つまり正しいという価値観も違う場合があるのだ。

違う人間同志が仲良くやるにはどうしたら良いのか。
それは理解し合う話し合いではなかろうか。
つまり、何を言っても馬鹿にしない話し合いである。
こと宇宙のことやら既存の科学で解明されていない、または情報開示がされていないものについて、人は馬鹿にすることが多い。
馬車から飛行機まで変化したこの100年のことを考えると何が発明されたり、信じられないような技術が産まれても本当はおかしくはないのだ。

おかしいのは馬鹿にする価値観の方になる。

麻についてと同様のことが言えそうだ。
原発に関しても。世界の金融システム、銀行システムに関しても。
歴史にしても教科書にしても。

こう考えられるように意図されているのではなかろうか。
その意図からはみ出る「自分」を持った者が「変わり者」になるのだ。

真実の目を養おう。

真実の目を養う訓練をしていくと、瞬時に真実か否か気付くようになる。

それもまた今の社会の価値観においては信じられないような事実であろう。

それが人間の嗅覚であり、直感であり、心の声なのだ。

素晴らしい世界へ向かおうじゃないか。