皆川歴史研究会の5月例会は水野拓昌先生の講演で、演題は「皆川広照どんな武将?」です。会場は慈眼山「金剛寺」でした。
大橋利一郎代表からは、国立東京博物館から金剛寺収蔵の「甲冑」調査に関する問い合わせがあるなど、皆川歴史研究会の活動が注目されて、広く知られることになり、多くの皆さんから激励等をいただいているとの「おはなし」がありました。
講師の水野先生は、佐野市で「藤原秀郷をヒーローにする会」の活動をしていたら、金剛寺柿上住職から誘われ、講演を引き受けました。「皆さんからご質問をいただいても答えられないと思います」などと、笑顔で前置きをして講演が始まりました。
<講演内容>
皆川広照の人物像。魅力、面白さ。皆川広照の生涯。藤原氏略系図(鎌足から秀郷へ)。長沼・皆川氏略系図(秀郷から広照へ)。皆川広照と同世代の戦国武将たち。若き広照の奮戦。上杉謙信との関わり。宇都宮城占拠事件の背景。皆川広照、家督相続前後の情勢。皆川広照、織田信長に馬を献上。皆川広照「神君伊賀越え」に同行?。小牧・長久手の戦いと沼尻合戦。草倉山の戦い・・・そして北条氏臣従。沼尻合戦後の北条氏北進。皆川広照の家族・姻戚関係。
以上のような内容についての「おはなし」でした。話しを聞いて”そうだったんだ”と感心しながら拝聴いたしました。
広照が家康と,その家臣団と共に、安土城に入り織田信長に拝謁し接待を受けたことなど、家康と広照の信頼関係が分かり”なるほど”と納得です。
中野先生の講演が終了してから「フリートーク」の時間があり、活発な意見交換がありました。会員の皆さんも皆川氏に関することに詳しくて驚きました。
私も「栃木」の地名に関心があり講演会資料「皆川広照の生涯」の中に、天正19年(1591)「栃木城に本拠地を移転」とあるものですから「栃木の地名は何時頃から使われていたのか」聞いてみました。
会員の小林延年さんが「明応元年(1492)小山成長文書に、下野国中泉庄杤木(とちぎ)早乙女屋敷十か年御在陣・・・とあるので、室町中期以前から「杤木」と呼ばれる集落があったと思われます」と答えてくれました。自宅に帰り「小山成長文書」をネット検索をして詳しく知ることができました。ありがとうございました。
(講演会の風景・2026.5.23)
※写真は湯澤会員提供です。
(金剛寺墓地からの風景・2026.5.25撮影)
※奥に見えるのは皆川城址です。
