6月15日(月)午後2時から皆川の「金剛寺」で、皆川歴史研究会6月定例会が行われました。8月21日から30日まで、きららの杜「蔵の街楽習館」で開催予定の「歴史パネル展示会の概要」について、小林延年企画広報担当の「はなし」がありました。

 戦国を駆け抜けた「皆川広照の軌跡」と銘打って、織田信長への馬献上から、小田原北条氏との沼尻合戦。草倉山の戦いを経て、北条方の有力国衆として、小田原合戦に至る、皆川広照激動の10年間を、歴史パネルで読み解く展示会となります。

 小林さんからは歴史パネルの概要について説明がありました。私のメモから幾つかあげてみます。

 皆川城の築城は何時頃なのかについては、11月に講演が予定されている、江田郁夫さんから詳しく聞けると思います。

 皆川広照の祖先は藤原秀郷(通称・俵藤太)で、平将門と同じような”あらくれ者”だったらしいが「将門討伐」の功により、下野・武蔵二か国の国司と鎮守府将軍に叙せられ勢力を拡大。源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として、多くの家系を輩出した。

 「本能寺の変」での広照の動きは、徳川家康と共に行動していたのではないか。

 北条軍と佐竹・宇都宮連合(佐野・皆川等)軍による、関東を二分した「沼尻合戦」の戦場は、三毳山(みかもやま)の北側あたりと思われる。

 「草倉山の戦い」は、小松義邦さん出版の「皆川正中録」に戦国ドラマとして載っている。

 「フリートーク」では、会員の皆さんから次のような発言がありました。

 パネル展示会は、小学生でも理解できるようなパネルの展示をして、小中学生にも呼びかけたらどうか。

 栃木市役所職員の中に「皆川広照とは何者?」と、広照を知らない人が多い。栃木の街づくりに貢献した人物なので、行政との連携も重要と思われる。(皆川歴史研究会設立総会には市長・教育長も出席している。)

 皆川広照、隆庸は、20年間、常陸府中藩(石岡藩)一万石の領主だった。石岡市史にも書かれていることなので、パネル展示に入れたらと思う。(石岡市からの参加者)

 事務局(柿上金剛寺住職)のはなし

 6月13日に国立博物館の佐藤企画展示室長が金剛寺に来られて5時間にわたり、広照着用の「南蛮胴具足」の調査をされた。今年中に論文として発表されると思う。

金剛寺には「皆川文書」等の貴重な歴史資料が「多数」残っており、これからの調査研究に役立つものと思っている。

 小松義邦(郷土史研究家)会員からのお知らせ

 復刻版「現代語訳・皆川一族」を出版したことについての「はなし」がありました。下野に花開いた皆川氏の「皆川姓」が全国的に広がりを見せていて、つたない手作り冊子が、皆川の「歴史の輪」を広げるていることに喜びを感じている。

 

(皆川歴代墓地2026.5.25撮影)

※初代から墓碑が連なっています。

 

(皆川城址からの風景・2021.9.20撮影)

※皆川城址から草倉山を望む。

 

(現代語訳「皆川一族」の冊子・2026.5.31撮影)

※小松義邦さん出版、付「都賀笠」です。

 

(岩に日の出・2024.10.2撮影)

※12代将軍家慶公御筆。皆川15代庸郡公は、家慶公の小姓を20年間勤めた。