十八代目中村勘三郎襲名記念写真集 [ 中村勘三郎(18世) ]
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中村勘三郎一八代目襲名記念の写真集です。篠山紀信撮影。
スポニチアネックス 12月10日(月)11時45分配信
5日に57歳の若さで死去した歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの追悼番組「さようなら勘三郎さん 独占密着…最期の日々」がフジテレビ系で7日午後9時から放送され、平均視聴率が13・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが10日、分かった。
番組では、7月の食道がん手術の3日前に行ったインタビューなどを放送。リンパへの転移を明かしながら生きることへの強い意志を示した姿や、同局が長年撮影してきた素顔、勘三郎さんの功績や家族愛などを紹介した。
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中村勘三郎さんがどういう人であったか、皆さんご存知でしょうか。
僕も含めた若い人はあまり歌舞伎を見ないため、ほとんどわからないと思います。
むしろ中村勘三郎さんはおろか、歌舞伎自体をあまり見たことがない人も多いでしょう。
歌舞伎というのは、日本固有の演劇のひとつです。
演劇自体は好きな人も多いと思います(ライオンキングとか)
数ある演劇の中でも、日本固有のものであるとして「世界無形文化遺産」として指定されています。
歌舞伎役者の元祖は、出雲阿国だといわれています。
彼女は1603年に京都の北野天満宮で踊り、有名になりました。
歴史の教科書で知っている人もいるかもしれませんね。
そうして江戸から明治、そして第二次世界大戦後にいったんはGHQによって演目を禁止されつつも、なんとか現代まで残ってきました。無形文化遺産に登録されるのももっともでしょう。
中村勘三郎さんが生まれたのは、ちょうど戦後10年の1955年でした。
17代目中村勘三郎の長男として生まれ、4歳の頃から演劇に出ていたといいます。
ちなみにそのとき襲名したのが、中村勘九朗です。こちらはよく覚えている方も多いかもしれません。
その後、中村勘三郎を襲名する2005年まで、ずっと一線で歌舞伎に対し貢献してきました。
特に有名なのが、平成中村座の立ち上げでしょう。野田秀樹や串田和美など、現代劇の劇作家、演出家らと組んでの歌舞伎上演など、野心的な試みにも取り組んでいました。その取り組みは日本だけには止まらず、海外にまで広がっていきました。
中村勘三郎さんの有名なエピソードに、「フリーズ事件」というものがあります。
これは2004年、ニューヨーク市リンカーンセンター内に、平成中村座を設営して『夏祭浪花鑑』を上演したときのことです。演出に串田和美を迎え、幕切れでは花道から続々と出てくる目明かしの代わりにニューヨーク市警の警官たちを舞台奥からパトカーで登場させ、団七・徳兵衛にピストルの銃口を一斉に向けて「フリーズ!」とやって観客を驚かせました。ニューヨークタイムズ紙は「(当時上映中の)大作映画よりはるかに刺激的で面白い」と絶賛したそうです。

かつてこんなことをした歌舞伎役者はいませんでした。歌舞伎は日本の古典芸能であり、世界には通用しないとそれまでの人は考えていたのです。
この大成功により、中村勘三郎さんは世界中に知られるようになりました。
まさに、日本の古典芸能の立役者だったのです。
その後、2005年に勘三郎を正式に襲名されました。
誰もがまだまだこれから、むしろこれからが役者として一番脂が乗る時期だと楽しみにしていました。
そんな中での今回の訃報。本当に残念でなりません。
これほどの才能のある歌舞伎役者は、もう現れないかもしれません。
かつて中村勘三郎さんと親交があった大竹しのぶさんはこう話します。
「周りのすべてのスタッフにも本当に細やかで、すごいとてつもない愛を持っている、役者として人としてもすばらしい人でした。歌舞伎界だけでなく演劇界が彼をなくしてどうなってしまうのかというのが正直なところですが、頑張らなくてはいけないなと思います」
(引用http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121205/t10013966551000.html)
中村勘三郎さんの歌舞伎への貢献は、計り知れないものがあります。
歌舞伎界は、これから大変になるでしょう。特に勘三郎さんの息子である6代目中村勘九朗さんには、大きな期待が寄せられています。
本当に、早すぎる死でした。ご冥福をお祈りします。
2012/12/09
文責 すいせん