今日はお義母さんの話です✏️


旦那さんは4人兄弟で3男。
義母は持ち家があるので
そこに4男と暮らしてます。

と言っても、2棟続きの作りなので、各々が一戸住まいなんですけどね。
“ご飯の時、一緒に過ごす”
といった感じですが、私たちからするとそれだけでも有難いし感謝しかないです。


そんな義母(85歳)

昔は、電話がかかってきて私が出ると、開口一番『◯◯くん(ダンナ)おるぅ?』って。
『すずとわちゃん、元気?』なんて、言われたこともなかったえー

私が『お義母さん、こんにちは』って挨拶していても、遮ってしゃべるのです。『◯◯(息子)くんは?』と。

もはや、私なんて眼中になくて、『話したいのはアナタではないの』という対応されてました。

当時は家電📞でしたからね。
誰からの着信からかもわかるので、ある日から📞とらないことにしました。

旦那さんが留守なら、私が出ても意味ないし、嫌な気持ちになるだけです。旦那さんが居る時は、旦那さんに出るように言いました。

旦那さんは、面倒なのか絶対に自ら電話をとろうとしなくて💧

『お義母さんからだよ?』と伝えても、出てくれませんでした。


ピキッむかっむかっ


電話だよ!
お義母さんから!
私が出ても
変われと言うし
私に用事はないの!
私は挨拶してるの!
それも無視する。
挨拶できない人と
私は話す気はない!
こんな気分悪いこと
いつまで見過すの?
自分の電話なんだから
最初から出てよ!
お義母さん、私と話したくないんだから!


って
ずーっと、見ていて知らんぷりしていた旦那さんへ言ってやったむかっ


それからは、旦那さんが全て対応するようになったんだけど。
これが...ね
お義母さんだけでなく、お義父さんもだったんです💧

二人とも、自分の話したいことをたんまりと話すのですが、その会話には私はもちろん、孫の様子を伺う言葉もなかったのです。

長男夫婦、その子ども達。
次男夫婦、その子ども達には、色々気を配ったり、誕生日、入学祝いもありました。

が、我が家は一切ないの。


私は我慢すればいいけど、孫の扱いの優劣は、どうしても許せなくて💧

もちろん、旦那さんにもぶちまけて、だんだんと距離を置くようになっていきました。


衝撃的だったのは
当時、借家に住んでいた私達の大家さんと不動産やさんへ
息子の賃貸を解約する
って義父が言い出して💦
義実家の玄関先に、旦那さんの表札が埋め込まれたんです。

お前たちは引っ越して
ここに住むんだ❗

と。


それまでも、色々あったんです。
朝5時、6時に玄関ドアを叩いて
『◯◯くん、おーい』
と叫ぶ義父。

電話に出なければ
『どこに行っていたんか!』
買い物に行ってたら
『買い物なんかいかんでいい!』

やっと子供を寝かしつけ
ゆっくりしようとしていたら
今度は、義母が玄関を叩く。

居留守を使ったら、裏に回って
ベランダのガラスを叩く💧

私は、小さな抵抗で
『今、やっと寝たんです...』
と言ったら

またすぐ寝る!

なんて言われる生活。
それでも旦那さんに言えずに
かなり滅入って、鬱になってました。

そんな状態の時に、住居解約、強制引っ越し事件があったのでした。



もう無理、
限界です...
モンスター...
何とかして...



はい、逃げました。
不動産も解約できない
自分たちの城をもちました。


義父は左官屋さん。
自分の作った家に住ませたかったのでしょう。マンションを購入した私達に、しばらくプンプン💢でした。

コンクリートの塊に金払って💥


ってな感じでしたが、
次男さんも、マンション購入したので、義父の逆鱗は分散され、鎮火してゆきました。




義母で衝撃だったのは

私が娘を出産した翌日に
大風邪ひいて、鼻水ズルズルの孫(長男夫婦の子)とやってきて。
病室で、買ってきたお弁当を開いて、食べるだけ食べて帰った義母。

え? 私の分もあったでしょって?
あるわけないです。
おばあちゃんが孫を連れてきて、病院でピクニックしてる光景を、恐る恐る見ていただけです。

お願い!周りにも迷惑!非常識!

と、怒りを通り越して吐き気💧でした。



次女が生後2日目で亡くなった時

次女の身体は、先に義実家に戻りました。私は、出産2日目でそのまま退院して、実家に一旦帰宅。

すぐ身支度して、義実家へ行きました。横たわる次女に宗教絡みの装飾がされていて、身体が震えました。
そして、その不快なものを義母の前で取り除き『やめてください!』と言いました。

傷口が痛くて、座ることもままならない私。やっと座ったと思ったら、2才の甥っ子(長男の子供)が、私に飛びかかってきて、私の膝の上に立ってジャンプを始めました。

悲しくてそれどころじゃない。
そして激しく痛い💧
小さな声で
『痛いから...止めようね...』
って優しく言いました。

それを見ていた長男夫婦
ニコニコしながら
『すずとわちゃんが好きなんかぁ。遊びたいんだなぁー。』って。
義母も笑って止めなかった。

私なら、すぐ引っ張って止めさせて、その場から子供を退避させます。

静かに眠る次女と、堪える私。
その周りは、笑い声...
一緒にいた亡母は、この光景をどんな風にみていたでしょう。きっと悔しかったでしょう。




義父が危篤の時
旦那さんと駆けつけました。
その時、義母は旦那さんに
『銀行に~』と頼み外出しました。
次男さん夫婦は、『看取らない!』と言って、待合室で待機。(これには計り知れない事情があったようです)
長男さんは、私と2人で義父の傍にいました。

私は、義父の呼吸を見ながら
『色々ありました...が、ありがとうございました。』と伝えました。
義兄は、主治医と軽やかに雑談。
心電図の説明をしてもらってました。
結果、義兄は心電図と話に夢中で、最後の最後を、傍にいたのに看取れなかったのです。

私が
『お義兄さん、お義父さんが...』
と言ったら

親父ぃー
と涙を溢されました。


息があるうちに、呼べただろうに。



思い出したらキリがない。
不適切で非常識なエピソードだらけです。

まぁ、結局のところ
巨大化したモンスターを放置して
妻と子供を守れなかった旦那も問題があるんです。



話は戻りますが
そんな義母も85歳で
グランドゴルフ、体操、自転車、食事会と、アグレッシブに動いてます。

そんな義母も定期的に病院に通いしているみたいですが、『元気になる点滴をしてもらってる』と、主治医を崇拝してるのです。白血球が1万越えてるのに、『あそこで全部治せる』という始末。
いや、ちゃんと調べないと💦って言っても聞きやしない...。
元気になる点滴すら、何なのかわかってないのに、根拠のない“大丈夫”を繰り返してきます。


自転車も危ないからダメ❗と説得して、補助カートを買って届けてるのに、ゴミだまりに放置されてます。

年寄りくさくて
カートなんか使いたくない

から使わないで、ゴミ扱いしてるみたいですが、


年寄りみたいじゃなく
年寄りなの!
後期高齢者だから
格好じゃないでしょ!




って言いたくなったわ。


ケガしたらベッド生活。
同時に動けなくなってきて
最悪、寝たきりになる。

痛いときは誤魔化して
痛くないときは、調子悪いと言う。
採血の結果を見せてと言えば、もらってない、失くしたという。

少し認知があるけど、都合悪くなると話を逸らすのわかってる。


そんな我親をみて、旦那さんは
『わしにはわからん💦』
『すずとわがいて助かる』
『すずとわから言ったら、理解すると思う。わしではダメ...』

だと。


ピキッむかっむかっむかっ


自分の親でしょ!
私が言っても、話を逸らすのに、どうして私に投げるの!
電話だって、私は毎回3時間話し相手なってるよ。自分は、すぐ私にチェンジして逃げようとするし。
なぜ、私に丸投げするの。気になるなら、すぐ会いに行けばいい! 
行くべき! 
私のアドバイスや意見じゃなくて、自分で考えて行動して!


と言ってやったニヤリ


で、早速電話していたけど
『病院いるから迎えにきて』って言われて、夜勤あがりの状況で出陣してました。


帰ってきての報告が

『すずとわが凄い心配しとる! だから、無理せずちゃんと報告してくれ』
って言ったら
『ごめんね、心配かけて』

ってお袋が言っていたぞーって。


なんでそこで私を強調する?
私の名前を使う事で説得できるとでも思う?
逆効果で疎ましくなって避けるようになるし。私を悪者にしたいの?

俺が心配なんだ!って
なぜ言えないんだ?パンチ!


本当ムカつくむかっ


義母からも電話がきて
『すずとわちゃんに、いっぱい心配かけてごめんね』
『すずとわちゃんが心配してくれてるから安心よ』



私が心配してくれたら安心とか💧
義理でも親だったら
心配させないようにしてほしい。
私が勝手に心配するのは、仕方ないことだけど、老いては子に従えなんだよ。


私は、未だに“子”に属していないかもしれないけどえー
(それならそれで割りきれるけどね)



まずは
カートを使うように仕向ける為に、旦那と特訓(一緒に散歩しながら納得させる)、そして旦那さんが避けていた(私に丸投げしていた)親子の時間をつくらせる。


現実を直視しないで、見ないふりする旦那よ、義母の頑固さに向き合うがよい!えー