回想が長いです。

流産の表現をたくさん含むので、

そこだけ注意…


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続き。

2019年2月14日の夜。


世間はバレンテインデーで地味に

盛り上がっとるようだが、

私にとってはドキドキハラハラの、

帝王切開前夜だった。



夕食を終えて、ベッドでゴロゴロ。

消灯されてもすぐには寝付けない。

これまでの出来事、想いが、

色々と頭を廻ってくる。

 

泥沼な離婚後、40歳で再婚し、

翌年41歳で夫との初めての子供を

授かったこと。


7週目に心拍を確認し、その頃は

心拍さえ確認すれば普通に生まれると

思っていたので両親に報告。

遅い初孫誕生のニュースに、

喜んだ両親の姿。


しかし心拍確認から1週間で

体温の低下

(ほんの少しだったのに)と

嫌な予感がして受診、内診の結果

胎児の心拍数低下を知らされる。


必死に祈り、HCG注射等の処置を

取るも、心拍確認から僅か2週間で

初めての子は流産となってしまった。

両親への報告が辛かった…

 

以後それを含め、41歳から43歳までの

間、医学的に診断ついた流産は4回。

(判定薬陽性の科学的なものを加えたら

10回は下らないだろう)


ほぼ7ヶ月に一度流産していた。

特に、9週を回った流産は、

身体への負担が半端ない。

常に出血している状態が何ヵ月も

続いたのは本当に辛かった…(TДT)


さらに43歳春の流産を最後に、

秋に44歳の誕生日を迎え、1年後の

45歳の誕生日を過ぎても、今度は

判定薬のカスリさえしなくなった。


4度目の流産後に行った不育症等の

検査は異常無しだったし、

その後内診での卵胞チェックも

問題無かったので、単純に

年齢だな…と思う。


元々、45歳を妊娠のリミットとして

来たつもりで、もう夫婦二人の生活を

楽しもうと思った。これが運命だと。


でも、そう思った…と言うか、

「思おう」としていただけ。

今なら断言出来る。


リミットを前に、夫婦二人でこじんまりと

住める住居へ転居先を決めた。 


が、あと3ヶ月後に迫った満45歳いっぱい

(つまり46歳になるまでは45歳でしょ、

と言う理屈ww)で最後のタイミングを取り、

2年ぶりの判定薬陽性を見たのは、

転居したその月の下旬だった…


正に『事実は小説より奇なり』を

地で行った気分だったわwww


思えば、2度目の流産の後に子宮筋腫を

取る事を決意し、筋腫核摘出手術で

この同じ総合病院へ入院した時。


今と同様、眠れない夜を過ごしながら、

次に婦人科病棟へ入院する時は出産の時!!

と強く願っていた。


そこから、なんと4年…  

46歳、アラフィフと言われる年齢で

やっとそれが叶うとは。 


夢は追い続けないと叶わないんだな。

そして、一人じゃなくて夫婦の夢なら

一緒に信じて協力してくれる夫の力が

本当に本当に強大。


と、しみじみしながらも、

いやいや、まだ夢は叶っちゃいない、

気を抜くな。私、46歳。

並みの高齢じゃないんだからね?

と思い直し。

最後まで心配は消えなかった(笑)


私の胎内から分離(笑)する最後の夜、

お腹に手をぎゅっと当てて、

最後の夜の胎動を強く強く感じたかった。

と言っても、深夜はいつも、私の胎児は

寝ちゃってるんだけどw(この夜も)


あんなに早く分離して赤ちゃんの顔見て

安心したいと思ってたのに、ちょっぴり

不思議な寂しさを感じつつ、

日付が変わる前には

眠りに付けたようだった。


まだ続くww

次で出産します!!(予定(笑))