2016年8月21日

日本では早朝から同じニュースで埋め尽くされた。

「矢波選手100メートル上で謎の急死」

あの悲劇の100メートル決勝の映像が幾度となく繰り返し放送されている。

魂が一瞬で抜けたように脱力し、頭をトラックに打ち付け、人型の物体として回転し倒れていくシーンだ。

そして同じ頻度で繰り返し流されている映像があった。

矢波光一の母校、宮崎県、宮崎中央高校のパブリックビューイングで応援していた矢波の母親・昭子の映像だ。

光一は幼い頃に父親を亡くし、昭子は女手一つで光一を育てた。

オリンピック開催以前、矢波親子の物語は美談として幾度となくテレビで放映されてきた。

   「苦労をかけたお母さんに、僕が世界一のプレゼントをあげたい」

   そういってウェアの裏に縫いつけた母かもらったお守りを握る光一の姿が、多くの人の涙を誘っていた。

宮崎中央高校のパブリックビューイングでは、昭子が座席中央に座り、光一が持っているものと同じお守りを両手で握りしめていた。

静寂の後、スタートのピストルの音と共に、昭子は椅子の上で小さく飛び跳ねた。

「がんばれー 光一ー。 がんばれー」

両手をさらに強く握りしめ、小刻みに震えていた。

そして、その瞬間。

昭子は、一目散に巨大スクリーンへと駆けていった。

「こーいちーー。こーぅいちーー。どげんしたとーーーー立たんねーーー」

スクリーンに映った光一を何度も撫でながら、昭子は腰が抜け、座り込んでしまった。。。

その一部始終を、マスコミは一斉に報道したのだ。

日本一有名な母子の悲惨な別れのシーンを、幾度となくマスコミは取りあげた。

しかし、一つだけ報道されなかったことがある。

それが、「矢波遺体消失」である。

サン・クリストバン総合病院から矢波の遺体が消失したこと。

そして、その直前に条上首相が訪れていたことも報道されることはなかった。


2016年8月22日

緊急帰国した条上首相は、首相官邸にて極秘指令を出した。

それは、コードネーム 「S-PR」 と呼ばれた。

「S-PR」に招集されたのは、わずか3名。

内閣情報調査室(内調)のトップ、三国剛
防衛大臣 破山新一
東京大学教授 福田雅彦

彼ら3名に条上は一つの文書を渡した。

そこには、こう書かれていた。


  2016年8月20日 リオで銃声鳴るとき、S-PRは目覚める




(つづく)