以前、このブログで、「擬態」をデザインしたのは誰か、という記事を書いた。

$すずりょうの超思考論 ~人生を変える力~

擬態とは、動物や昆虫が、自分の体の形や色を変えて身を守ることだ。

彼らは自分の体を客観的に見ることができないはずなのに、なぜこのような擬態を身にまとうことができたのだろうか。

$すずりょうの超思考論 ~人生を変える力~

昆虫の中には人間のように多彩な色を識別できないものが多いにも関わらず、見事に環境の色と同化するように体を変化している。

これを彼ら自身がやったとはいえないだろう。

なら、誰がやったのか?

私は一つの仮説を持っている。

それは、自然(というより宇宙)には、すべての情報が“すでにある”状態であり、そこからの情報が何らかの作用でアクセスできるようになっている、のではないか、と。

そんなこと誰かも言っているし、昔の人もそんなことを言っているよ、とあなたは言うかもしれない。

でもちょっと待って欲しい。私はもっと先を考える。

人間の文明は、ここ100年で恐るべき進化を遂げている。

インターネットで情報が幾何級数的に増加し、光速で地球を巡りつつける時代になった。

ほんの十数年前まで、情報を膨大にアクセスできる人は限られた人だけだった。

高度な知識の共有が限られた人だけだった世界でも、100年間で人類は大進歩を遂げたのである。

今や、子供でも全世界の情報にアクセスでき、それがノーベル賞級の論文であったとしても、無料で閲覧できる世の中になったのだ。

このことからも、今後、人類の進歩は異常な速度で加速し、これから100年後の世界は、これまでの100年とは比較すらできないほどの変化をもたらすことは容易に想像できる。

では、さらに時間を先に延ばし、これから1万年後、人類が無事に生き延びていたとして、地球もアルマゲドンを回避できていたとしたら、どれだけの文明を築くことになるだろうか。

さらに100万年後、人類はどれだけのことをなし得ているのだろうか。

もはや想像すらできないが、私に言わんことは別のところにある。

人類の科学力がどれだけ進化し、まるで魔法のようなことも易々と成し遂げていたとしても、しょせんは宇宙の中の可能性の出来事である、ということだ。

つまり、宇宙には無限ともいえるキャパシティを持っていて、宇宙規模で見ればウィルスよりも小さな存在である人類ができるようなことは、宇宙の可能性の一部を実現しているに過ぎない、ということだ。

私たち人類は、宇宙の可能性を“発見している”だけなのだ。

ということはどういうことか。

そもそも宇宙には、人類が1億年たって到達できるような超ド級の高度な科学力でさえも、最初から内包されている、ということだ。

だから、擬態程度のことは、できて当たり前、ということ。

それにアクセスする方法を、まだ人類は“発見”していないだけだと。

でも翻って自分自身を見て欲しい。

人間の体はパーフェクトな構造物だ。

どのようなミクロな器官であっても、すべての臓器や脳と100%リンクしており、生命を維持させる仕組みをパーフェクトに機能させている。

一体、誰が、このような完璧な構造物を作ったのだろうか?

人類はすでに“無限の叡智”にアクセスした結果を手に入れているのだ。

しかし脳がそれを感知するほど進化していないため、それを正しく発見できないでいる。

でも、それがある、という事実に違いはない。

古の人類は、そこに神を見たのだろう。

私は、そこに神をみないだけだ。