僕が中学の時、科学雑誌のある特集に釘付けとなった。

昆虫の擬態についての特集だった。

擬態とは、昆虫が自分の体を葉っぱや枝などの形や色に似せている様をいう。


$すずりょうの超思考論 ~人生を変える力~


数多くの擬態写真が掲載された特集を興奮しながら読んでいた。

そして最後にこの一文が書かれていた。

「一体誰が、この擬態を作ったのか?」

僕にとって強烈なメッセージだった。

世界中の名だたる科学者も擬態について解明できていないのだ。

昆虫は自ら体を変化させることはできない。

それ以前に、自分の体を客観的に見る手段も有していないのだ。

「俺の体は葉っぱに似てるなぁ」

なんて、自分でさえも一生(?)気付くことはない。

なのに、彼は葉っぱの形をして敵から身を守っているのである。

さて、誰が彼の体をデザインしたのか?

彼を俯瞰して観察し、周りの植物に同化できるように彼の体をデザインしたのは、一体誰なのか?

僕はずっと考え続けたが、全く分からなかった。

一時期、「ウィルス進化論」という考え方が生まれ、ウィルスが他生物の遺伝子のカケラを運んできたのだろう、という仮説を立てていた。

しかしそれでは、石や土に擬態している昆虫を説明できない。

海洋生物にも岩石や砂に擬態するものもいるではないか。

誰がデザインしたのか?

その問いを拡大させていくと、人間そのものも誰がデザインしたのだろう、ということにたどり着く。

内蔵や骨格、脳や神経系に至るまで、全てが完璧にデザインされ、完全に同期しながら生命活動が可能となっている。

古の人間が、はじめて人間の内臓を切り開いたとき、「一体誰が、これほど完璧な器官を設計したのだろう」と思ったのは無理もないだろう。

さらに科学が進歩した現在では、DNA内のミクロの活動が明らかになり、極小のタンパク質がインターネット顔負けの情報伝達ネットワークを形成し、情報のON・OFFをパーフェクトなタイミングで行っていることも分かってきた。

我々人間は、ミクロの超絶技工が無限に積み上げられた結果として存在してるのだ。

一体誰が、そんなミクロの世界に完璧な仕組みを組み込むことができたのだろうか?

人知を越えた知性、と言ってしまうと余りにも簡単すぎる。

その驚異的な知性は、人類が誕生する遙か以前から、この地球上で生物を設計し続けている。

それは一体何なのだろうか。そして、それは我々が感知することはできないのだろうか?

(つづく)