日本を立て直すには、教育改革しかない、というのが私の持論。

教育は人を育て、人は国を育てます。

人が育たなくなると、国は衰退し、滅びます。

今の日本の教育は、「考えない訓練」「諦める訓練」をしている場ではないでしょうか。

高度に情報化された現在でも、検索すれば出てくるような知識をひたすら覚えることに注力し、考えることにほとんど時間をさかれていません。

乾電池に豆電球を繋げば点灯します。は、知識でしかない。

電球がなぜ光るか、を徹底的に考えさせるのが、考えることです。

子供にそんなことを考えさせるのは無理。と考える大人が「考えない訓練」の賜物です。

私の子供に「豆電球はなぜ光る?」と聞いたことがあります。

「電気が流れるから」

と答えたので、「それは単なる知識だよ。じゃあなぜ電気が流れると光るの?」と再質問。

「豆電球の中の線から光が出るから」

私はニコニコしながら、「じゃあ、なぜ線から光が出るの?不思議じゃない?光って何?」と再度質問をなげかけました。

その直後から、突然、子供の目の色が変わったのを覚えています。

「本当だ!!不思議だ!!」

と。

私は、「この世界には不思議なことであふれているんだよ。知っているつもりのことでも、よく考えると不思議なことなんだ。考えると、楽しいだろう?」と言葉をかけました。

ついでにこういいました。「同じ質問を先生にしてみなさい。答えられなくて困ると思うよ」

子供は学校で習った豆電球の知識はありましたが、考えることは一切していなかったのです。

しかし、ひとたび考えることの楽しさを学んだら、何でも面白くなっていくものです。

ある時、子供が私に声をかけてきました。

「お父さん。見つけたよ、不思議なこと」

何?と聞くと、

「コップって透明じゃん。でもなんで光が通るの?固いのに」

私は「凄いこと見つけたな~」と感動しながら、一緒に科学図鑑を開きながら考えていきました。

この世は不思議で一杯だ。でもそれを知識として覚えたら、不思議でなくなるんだよ、と私は声をかけたのです。

これは科学だけではないでしょう。

言葉の不思議、歴史の不思議、自然の不思議、社会の不思議、人間の不思議・・・・

不思議を楽しく追究していくのが「考える」ことにつながり、自分の頭で物事を考える力を身につけることになると思います。

自分の頭で考える訓練をすれば、社会に出てもたくましく生きることができます。

「不況だから・・・」とか、「あの人がこう言っていたから」とか、「本にはこう書いてあったから」とか、「マスコミではこう言っているから」と、人に思考をコントロールされることもなくなります。

なぜなら、子供の時から「本当だろうか?」という思考が身についているからです。

しかし、いまの教育では、共通の型を記憶させる訓練をしています。

それは、「考えない訓練」をしていることと同じなのではないでしょうか。

(つづく)