先日、私が死にかけて、そこから奇跡の回復をしたお話しをいたしました。


http://ameblo.jp/suzuryou/entry-10358869777.html


この話をしようと思ったきっかけは、部屋の掃除をしたからです。


部屋の掃除をしてると、子供が何かを見つけ、私にそれを持ってきたのです。


「お父さん、これお父さんの?」


その子の手にあったのは、私が絶望の中でメモを書いた一冊の手帳でした。



              すずりょうの超常識論


そこには、私が絶望の中で必死に希望の光を探した軌跡が残っていました。


まさしく私は、壁の向こう側を必死で見ようとしていたのです。


先日も書いたように、絶望を払拭させるために、「私は生きている」と書き始めました。


その一言が、私を正気にさせ、そして僅かな一歩を踏み出させてくれました。


後に、この行動は認知行動学的にも適切な方法だったということが分かりました。


さて、このメモで最も劇的な効果を出すことになったのが、「5年後の私」、を書いたところです。


何もない、実績もない、戦略もない、知識もない、そんな若造が、


本を作る、出版社を作る、テレビに出る、能力開発プログラムを作る、結婚する・・・


というような大それた夢を書いたのです。


その数時間前まで、死の淵を見ながら死にそうになっていた若造が。


そのメモを見ると、今でも、「良く書いたよな」と感心してしまいます(^^)



ところが、5年経ったときには、これらの事はほぼ全て実現したのです。


           


アメリカのサクセスマガジン社と共同で、能力開発プログラムも開発し、私の夢は一気に実現してしまいました。


           すずりょうの超常識論



本が完成し、能力開発プログラムが完成した時の、あの瞬間を、今でも忘れません。


サンプルが私の手元に届き、それを見た瞬間、私の全身に鳥肌が立ったのです。


その立ち方が尋常ではありませんでした(^^)


髪の毛が逆立つのまで分かり、全身の毛穴が一気に開いたのではないかと思えるくらいの衝撃を覚えたのです。


なぜ、そこまでの衝撃を受けたのか。


それは理由があります。


今では紛失してしまいましたが、私が小さな手帳に夢を書いた後、もう一つのノートを作りました。


仕事も何もなかったのですから、やることはそれしかなかったのですが、そのノートには、夢が実現したときの“写真”を貼ったのです。


部屋にあった雑誌から、夢に近そうな写真を見つけては切り貼りしたのです。


いくつもの写真をノートに貼りました。


そのノートを私は、何日も、何ヶ月も眺めていたのです。


それ以外に、何もやることがありませんでしたから。


すると、夢の中でも、その光景が見えるようになりました。


それはそうです。

それしかやってませんから。


その光景の中に、本が完成した風景やプログラムが完成した風景がありました。


その光景こそ、5年後に、それが現実になったときの光景だったのです。


この話が一番信じてもらえない話なので、私は10年以上も、誰にも語らないまま来ました。


友人からも、「そんな話はしないほうがいいよ」と言われてきましたので。


今でも、これを書きながら、その他の話をすることを躊躇しています。



その後、私が体験したことを、私なりに納得するために、非常に長い時間をかけることになります。


数多くのスピリチュアルな人にも出会ってきましたが、元来科学的な頭をしている私は、彼らの話には全然納得できませんでした。


だから、私自身で、その“理屈”を見つける必要があったのです。


次回は、私が納得している、この原理について語っていきます。