ピクサー社の実力を思い知らされた映画。

一言、凄い。


ハリウッド映画の衰退が話題になる昨今、ピクサー社は断トツの実力を見せつけている。


シナリオの完成度はもちろんのこと、演技者(?)の細かな演技や小道具の使い方が絶妙。


古き良きハリウッドを想起させつつ、いまだに衰えぬハリウッド(というかアメリカ映画)の凄さを、映像のメッセージとして伝えているようだ。


主人公ウォーリーの演技が最高で、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされてもいいレベル。


人間のようになめらかにうごく関節もなく、感情を表す表情筋もないロボットが、絶妙な感情表現をしている。


多くの俳優(人間)が、ウォーリーの演技に度肝を抜いたに違いない。


無機質のロボットに、多彩な感情表現をさせることに成功したピクサーの実力も凄いが、その演技指導した演出家も並々ならぬ天才だ。


地球で一人ぼっちのウォーリーの“たった一人”の友達が一匹のゴキブリ、というのも凄い設定。


このゴキブリ君を登場させるかどうかで、地球を舞台にしたウォーリーの生活の雰囲気も変わってしまう。

つまり、ゴキブリ君がいなければ、相当殺伐として孤独な風景となったからだ。


ゴキブリ君の役目はそれだけではない。


ゴキブリ君との生活を見せることによって、観客にウォーリーの優しさを理解させることに成功しているのだ。


なんせ、ウォーリーは、わずか5語程度しか話せず、映画を通してのセリフは極めて少ないのだ。


ウォーリーに関して言えば、サイレント映画の俳優とまったく変わらない。


しかも、表情筋のないロボットなのだから、どんな思いをしているかは、ウォーリーの動きでしか理解することはできない。


ここが、この映画の凄いところなのである。


さらに、脇を固める小道具や脇役も素晴らしい演技をしている。


火の付いたジッポのライターは恋愛の気持ちの芽生えを表現し、植物を入れた靴は人類の新たな第一歩をイメージさせている。


無機質な小道具に、重要なメッセージ性を持たせ、記号として観客の感情にインプットさせている。


何度も言うが、ほとんどサイレント映画に近い設定であるからこそ、物言わぬモノの役割が大きいのだ。


実写映画で、こんなことをできる監督が何人いるだろうか。


それから宇宙船の場面では、故障したロボット達が重要な役割を演じることになる。


使い物にならないロボット達が、自分に残された唯一の特徴を活かしながらウォーリーとイブを助ける場面がジーンと来る。


彼らも言葉を話すことができず、動きによる演技でしか気持ちを伝えることはできない。


話すことのできないロボットのウォーリーが、話すことのできない落ちこぼれロボットの心をつかみ、ウォーリーのサポーターとなっていく。


映画の中のなにげないシーンではあるが、実に人間心理に働きかける構成である。


そして、最後に感動的なラストシーンが訪れるが、ここで映画全体を通して仕掛けられていた布石が一気に効いてくる。


観客全員が「よかったね~~」と拍手を送りたくなるエンディングで、まことに素晴らしい映画として完結した。


ウォーリーは、僕が今年観た映画では最高峰である。


★5つ!!