僕は、今の時代を「小賢しさ終焉の時代」とよんでいる。


数社の出版社や新聞社の知人と話をしていると、共通して出てくる話題がある。


それは、「今の若いやつは小賢しい」という話だ。


「今の若いやつは」というありがちな大人談義をしようとしているのではない。

そもそも「今の若いやつは」というフレーズ自体、古くはギリシャ時代から言われているらしく、遺跡にも「今の若いやつは」という言葉が刻まれているという。


だから、いつの時代も「若いやつ」は大人から奇異な目で見られるものなのだ。

僕らの世代も「新人類」と言われ、奇妙な若者と揶揄されたものだ。


だが、今ここで言いたい話は別次元の話である。


出版社の話に戻ろう。


某大手出版社編集部長からこんな話を聞いた。


「最近は、著者に積極的に会おうとする者がいない。


 すごい本を創ろうという意欲がなく、仕事としてこなそうとする者ばかり。

 昔は 俺はすごい著者を見つけてすごい本を創ってやる という気骨のある人間が出版社に来たものだ。


 なのに、今はマスコミ関連の仕事をしたい、という表面的な目的で就職してくる。


 著名な著者を口説いたり、これからブレイクしそうな著者を発掘することに情熱を持たず、仕事を無難にこなすだけで意欲もないものが増えてきている。


 本当に面白い奴がいなくなった。


 その原因は、採用時にある。

 

 採用するときに、面白い奴でなく小賢しい奴を取るようになってしまった。


 俺らが面談すれば、どんなに格好付けようと、どんなに面接マニュアルを読み込んでいようと、すぐに化けの皮をはがしてやれる。


 本当に面白い奴は、履歴書や面接テクニックじゃなところに人間性が滲み出る。

 

 しかし、会社の規模が大きいと、最終的に採用を決めるのが総務部になり、現場から遠く離れた人物が決めることになる。

 

 だから、巧みな面接テクニックを習得した奴にコロっと騙され、小賢しい奴ばかりを採用している。


 無骨で面白い奴は、ふるい落とされているんだ。


 小賢しい奴は、出版社に入るために策を弄してくる。


 編集部が花形だと思っている奴らは、編集部希望です、といえば競争が激しくなり落ちる確率が高くなるため、営業部を希望です、とウソをついて面談ののぞむ。


 出版社内の配置転換で営業部から編集部へいくことはよくあることを察知し、策を練っている。


 一人でそれを考えたなら、なかなか面白い奴だと思うが、そんな奴が何人も面接に来るようになり何かオカシイぞ、と思うようになった。

 

 どうやら、出版社就職マニュアルがあり、そこには まず営業部を希望しろ と書かれているんだ。


 それを知ってから、面接に来る奴の小賢しさが腹立たしくなったが、総務部に行く頃には、俺たちの声は届かず、現場を知らないお偉いさんが採用を決定してしまう。


 小賢しさを見抜けない大人も大人だが・・・・


 今は小賢しい奴が増えて、面白い奴が減った。


 小賢しい奴は、何も生み出さないんだ



この話は某大手出版社の話だったが、状況は新聞社も同じだという。


なんと現場に行かない(というか行きたくない)新聞記者が増えていて、情報源をインターネットに頼っている若者が増えているという。。。


インターネットは悪くはないが、物事の真実は現場にしかないのは歴然たる事実であり、そこを突いていくのがジャーナリストたる所以だろう、と。


現場を取材もせずに、他媒体からの情報を借用して記事を書こうものなら、ジャーナリストの看板を即刻おろして、「テキストコピー屋」として職業替えしたほうが良い。



「小賢しさ終焉」は、実はすでに市井で起こっている。


つまり、小賢しさのカラクリが光の速さで伝わるようになったお陰で、大手マスコミが報道する内容に簡単に騙されない免疫ができてしまった人が多く誕生してきているのだ。


それを知るのに一番最適なのがMIXIである。


MIXIでは、最新のニュースが次々に掲載されるが、そのニュースに関連して日記を書くことができる。


しかもニュースに関連した他人の日記も読むことができるため、世間の人がどのように評価しているかが瞬時に分かるようになった。


最近その傾向を見てみると、新聞記事の論調に真っ向から反論する日記を多く見るようになった。


卑近な例では、「コンニャクゼリー」についての記事だ。


「コンニャクゼリー」をのどに詰まらせ死亡する事故が起こり、メーカーは製造方法などを改善し、先日発売を再開した。包装やゼリーカップにも「お子さんやお年寄りには食べさせないでください」「凍らせないでください」という表示もしている。


しかし、それでもメーカーを信用できないとした某消費者団体は、「絶対に安全だという証拠が出ない限り販売を中止せよ」という要望書を出した。


このニュースに関連する日記を読んでみると、ほぼ8割が「何を訳の分からないことを言っているの」という論調だった。


中には詳細に調査を行い「ご飯」「おにぎり」「餅」「パン」が、コンニャクゼリーよりも10倍以上の死者を出していることに言及し、「ではなぜ餅やパンを規制しろと言わないのか」と反論していた。


コンニャクゼリーだけが死者を出しているような偏向した報道に対して、一般読者のほうがバランス感覚を持つようになっているのだ。


もちろん、コンニャクゼリーの安全性は高めるべきであることは言うまでもない。

二度と悲劇が起きないように、メーカーへの一層の対応も求めたい。


しかし、この食品だけをやり玉にあげて、悪食品扱いするバランス感覚を失わせる報道はいかがなものかと僕も思うのだ。


余談だが、僕の喉は普通の人よりも狭いらしく、かつて「おにぎり」や「ご飯」を喉に詰まらせて死にそうになったことがあり、最近では「焼き鳥」を喉に詰まらせて、窒息寸前までいった

友達が助けてくれて助かった。


喉を通る食物は、どんなものでも危険があるのだ。


僕がクレーマーなら、コンビニのおにぎりにも「喉に詰まらせる危険があります」とデカデカと表示してもらいたいと言うだろう。


焼鳥屋にもメニューに「焼き鳥は喉に詰まることがありますから気をつけてください」と赤字で書いてもらいたいものだ。


このコンニャクゼリーの件は分かりやすく例に出したまでだが、このように一般の読者の方が賢くなり、読者迎合を企むような小賢しい記事の皮の面は剥がれてきていることを言いたいのだ。



小賢しさの終焉はもう始まっている。