アートディレクターの佐藤可知和和氏は、マーケティング的に面白い研究対象だ。


氏のデザインした作品は多くのメディアでも取り上げられ、まさに時代の寵児たる存在となった。

私も氏の斬新なデザインに驚いた一人でもある。


が、


あらためて氏がTVに出演したNHKのプロフェッショナルという番組をDVDで観てみた。


すると、何ともいえない違和感を覚えたのだ。


彼のオフィスは整然と整頓、というより何もない空間になっていて、デスクの上にはMACしかない。

会議室にもテーブルと椅子しかなく、しかも定規で測ったかのように1ミリの誤差もなく整然と並べられている。


日常と非日常という分け方をするならば、氏のオフィスはまさに非日常である。

いやもっといえば、非人間的でもある。


そこで生み出されたデザインは、余計な解釈も許さないほどシンプルであり、氏の言葉を借りるならば「潔い」デザインである。


氏の代表的な作品でありユニクロの実験的な店舗である原宿UT店に行ってみると、氏の思想(?)が全て表現されている。


Tシャツ専門店であるにも関わらず、店舗内に陳列されているTシャツは少なく、そのほとんどが冷蔵庫を摸した什器の中に、なんとペットボトルに詰めて売られているのだ。


大胆なデザインともいえるが、買い手目線を無視したデザイン至上主義ともいえる。


さて、NHKのプロフェッショナルに話題を戻そう。


番組ではキリンレモンのデザインリニューアルと、ドコモのD702iのデザインのプロジェクトを取り上げていた。

放送当時はまだ市場に出る前であり、佐藤氏のプロジェクト進行状況を“賞賛しつつ”紹介していた。


どちらのデザインも、佐藤可知和的斬新デザインである。


結果はどうだったか、は、今となればよく分かる。


いずれも成功したとは言い難い、というよりそうではなかった結果である。


その結果を予想させてくれるかのようなシーンを、この番組内で私は発見した。


キリンの担当者がこれまでのキリンレモンのペットボトルを見せつつ、

「あまりかっこよくないですが」

と謙遜混じりに話していたところ、可知和氏は、

「カッコ悪いですね」

と臆面もなく答えていた。


それもそのはず。

可知和流のデザインからみれば、ごちゃごちゃしすぎて、野暮ったい感じである。


そして可知和氏は超シンプルなオフィスで超シンプルなキリンレモンのデザインを練り上げた。


そして、その新デザインをペットボトルのラベルに張り、オフィスの冷蔵庫(もちろんこれもシンプルなデザイン)に入れながら、「冷蔵庫にも入れてもカッコイイデザイン」かどうかを確認していた。


と、ここで私は「ええ、、、」と思ったのだ。


キリンレモンを買う消費者は、整然とシンプル化された居住空間にあるシンプルな冷蔵庫の中に「シンプルデザインのキリンレモン」を入れたりはしないのだ。


そこで私はこう思った。


「佐藤可知和さんは、超整然とした環境に慣れすぎてしまい、それが日常であると思うようになっている。その結果、そうではない消費者の感覚からどんどんずれてきているのでは・・・・」


そして、あらためて佐藤氏の作品を見てみると、確かに氏のオフィスに“合っている”デザインであり、何の違和感もなく、デザイン的にも正解であるのだ。


しかし、


少なくとも私の自宅には合わない。

私の自宅は自慢ではないが、ごくふつうの日本国民の自宅風景であると思っている。


日常的な感覚から離れているデザインは、そこに親近感が沸きにくい。

根本的に好きになれないのだ。


で、最近のキリンレモンのCMを見て、逆の意味で関心した。


星雄馬が大リーグボール養成ギブスをつけてキリンレモンを飲むCMである。

かなり強烈なインパクトがあり、多くの人が記憶しているだろう。


今、キリンレモンのコンセプトは「持っていてカッコイイ」ではなく、「家族で楽しく飲める」に切り替えたのだ。

私としては、それが正解だと思っている。


私の世代(40代)は子供の頃にキリンレモンを飲んだ記憶がある。

それもそうだろう。なぜならキリンレモンは80年の歴史があるのだから。


ということは、今生きている日本国民のほとんどが、キリンレモンとの付き合いがあり、その世代ごとにキリンレモンにまつわる記憶があるのだ。


星一徹と星雄馬が出てくるCMは、郷愁を誘い、もう一度キリンレモンを飲んでみたいという気持ちにさせてくれる。

しかも、あの大リーグボール養成ギブスでキリンレモンが飲めない星雄馬の動きがなんともコミカルで、今の子供たちにも受ける。その物語の背景をしならくても。


子供達は「これどういう意味?」と親に聞き、親は面白おかしく「巨人の星」の物語を話すという場面が浮かぶ。

そうなった瞬間に、キリンレモンのコンセプトが自然に実現していることになる。


マーケティング的な正攻法の狙いがすべて一貫しており、非常にわかりやすい。

感覚的にもスッキリ受け入れられるのだ。


野暮ったくてベタなコンセプトに戻したキリンは見事である。その変わり身の早さ。


がゆえに、佐藤氏が読み切れなかったものがハッキリと見えてくるのだ。


デザインはデザイナーが納得できるものではなく、消費者が感覚的にしっくりくるものでは受け入れないだろう。

消費者が感覚的にしっくりくるとは、自分の生活臭と同じ臭いがする、ということである。


もちろん、日常を忘れてくれる異空間、異感覚は必要である。

そこに日常で体験できないデザインが求められる。


しかし、衣食住という、まさに生臭い生活の中では、そんなデザインは違和感を与えてしまう。


人間は、そもそも野暮ったく生活している、のだから。