こんにちは、絵描きの円です
ふと思ったんだけど。
「自分」ていなくないですか?
「本当の自分」になりたいって長いこと思っていました。
自分が見つからなくて、ずっと探していました。何が本当で、何がそうでないのか分からなくなっていました。
今の自分は、余分なものがくっついてしまったニセモノの自分。ミノムシみたいに、外から持ってきた何かで自分を覆っていて、その中に隠れてしまっている。
だから、そのミノを剥いで、中身をちゃんと見なきゃいけない。みっともないイモムシみたいな姿でも、それを許して、認めて、愛してあげなくちゃいけない。
そうしないと、何も始まらない。
そんな感覚でいました。
でも実は、ミノを剥いで剥いだ中身は空っぽなんです。それが分かっていたんです。
自分には中身が無い。
ミノがあるから、外から見ると「わたし」があるように見えたけど、本当は何も無い。何も無いってバレるのがこわかった。
探してるものが無いなんて、知るのがこわかった。
けど、けど。
本当の本当は、みんな空っぽなのではないかと。
自分も、周りの他の人も、みんな。
「自分」があるように見えてるだけ。
外から集めてきた「何か」をまとって、なんとなく形を作ってるだけ。
許してあげなきゃいけないものも、認めてあげなきゃいけないものも、愛してあげなきゃいけないものも、何も無い。ただ「許せた」「認められた」「愛せた」って感じているだけ。
で、これは虚しい話じゃなくて、どちらかというと自由ですがすがしい話。
空っぽなのを隠す必要なんてない。
空っぽなんだから、責めなくてもいいし、許せない愛せないって悩まなくても大丈夫。
…ていう話。
昨日と今日とで考えが変わってもいいし、あの人の前とこの人の前とで全然態度が変わっても問題無い。
もともと、そんなハッキリしっかりしたものじゃないんだから、自由に変わっていい。もちろん、変わらないでもいい。
「なんで自分はこんななんだろう?」て悩む必要も無い。なげやりになってるわけじゃなくて、もともとそれほど正確にコントロールできるようにできてないんだと思う。
たぶん「わたし」という感覚と、実際に動いている「自分」だと思っているモノとはそんなに距離が近くない。他人をコントロールできないのと同じくらい、「自分」と「わたし」は遠いものなのかも。
…なんか、言葉にすると気が狂ってるみたいだ
不安になってきた。
簡単に言うと
自分に本当もウソも無いよ。だって、もともと何も無いだもん。おーらい
って、感じ。です。
ではでは、読んでくれてありがとう。
またね