こんにちは、絵描きの円です
Twitterで読んだマンガが鮮烈でした。
女の子同士のドロドロした関係の断ち切り方(1/5) pic.twitter.com/KIhD4AXA94
— 『強ガール』公式/単行本②巻好評発売中! (@TSUYOGIRL__) 2022年3月10日
「私だったらそんな服絶対着れんわ〜。てか、買わないかな」
「私も!スタイルに自信なかったらそもそも買えないよね!」
こういう言葉、わたしも言われたことがある
友達からもあるけど、1番は母親からかも知れない。
ここまであからさまに悪意がこもってるわけじゃないの。でもなんかモヤっとするんだよね。嬉しくないのです。
「その服いいね!」以外の別の気持ちが混ざっているのを感じるから。
わたしがもらった言葉には、たぶん、その人自身の自分を蔑む気持ちが入ってた。「わたしなんて」を味わうために、こちらを褒めて見せてるの。
だからモヤっとするのです。言葉と気持ちが合ってない気持ち悪さを感じるんだ。
「そんなことないよ」と受け取り拒否すると、「褒め言葉は受け取らなきゃ」とか「自信持たないとダメだよ」って返されて混乱することもあった。わたしから見たら、自信を無くしているのは相手の方なのに。(わたしは自信まんまんだ、ってわけでもないけど)
マンガの言葉とわたしが貰った言葉は、逆のように見えて根っこは同じで、発した本人の劣等感の表れなんだと思う。
マンガの女の子は主人公を下げることで、わたしに言葉をかけた人は自分を下げることで、心の折り合いをつけようとしていたんだろうな。
褒め言葉のはずなのになんで嬉しくないのか不思議だったけど、やっと謎が解けました。
何かを讃えるために、別の何かをdisるってよくある形だけど、わたしは好きじゃないです。自分を良く見せるために相手を下げるのも、相手を立てるために自分を下げるのも、同じように気持ち悪い。
そういうことを言う人が気持ち悪いって意味じゃなくて、計算が合わないような違和感があるのです。バランスが悪い感じ。
「推しを愛でるために別のものを悪く言う」のと同じで、幸せじゃない感じがするからかな。
ショートケーキの美味しさを伝えるためにチョコレートケーキをdisったりしない。どっちも美味しい。ケーキは正義。