ローズウッドです。
2011.3.11 14時46分 東日本大震災発生。
あれから6年。
普通の日常を突然奪われた人達。
大切な多くの命が失われ、
深い悲しみから立ち直れない人達。
震災後の孤独死・自殺…。
そして絶対に許せない避難家族のいじめ。
時が解決してくれることもあるけど
解決できない深刻なことも多いのだと
考えさせられる。
あの日…
都内から5時間以上歩いて帰宅した私。
社内泊も考えたけど
会社のTVに映し出された
地元の光景が怖すぎて…。
何としてでも帰宅して
現状を確認したかった。
まだ1歳にならない飼い猫も心配だ。
家具の下敷きになってないだろうか…。
住んでる街に近づくと不気味なくらい
静まり返り、人の姿は全くない。
ゴーストタウンみたいだった。
液状化で湧き出た泥水は
砂場に水をまいて固まったかの様な
有り様だった。
マンションの入り口まで渡し板が
置かれてあった。
それが無ければ長靴でも履いてない限り
くるぶしまで埋まりそうな泥の塊。
階段で13階まであがる。
玄関ドアを開けたら…
部屋の中は物凄いことになっていた。
大半の食器は割れ、家具が倒れていた。
救いは「電気」が大丈夫だったということ。
あとのライフライン
「ガス」「水」はダウンしていた。
そして存在を消していた飼い猫は…
TVの裏にうずくまって震えてた。
でも幸いケガはしてなかった。
それから2ヶ月弱。
早朝出勤して早めに早退。
会社近くでお風呂に入り、
デパ地下で晩ご飯用のお弁当を買って帰る、
という生活が続いた。
帰宅したら自転車で給水を貰いに
小学校に駆け付けた。
洗濯は不慣れなコインランドリーを
並んで使用。
また「激甚災害指定」されるまで
「計画停電」も経験した。
ライフラインがダウンした場合の大変さを
身に沁みて感じた2ヶ月だったと思う。
そして被害の大きさの割に早く復旧したのは
東京に殆ど被害が無かったからだ。
特にライフラインは東京の多くの技術者による人道的支援が得られたおかげ、と言われてる。
逆に言えば…東京が大きく被災した場合、
各自治体で頑張るしかない、
ということになるのだろう。
そんな経験をした私も6年の年月の経過で
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
ではないが、あの当時の大変だった感覚が
正直、少しずつ遠のきつつある。
でも昨日は多くの番組で取り上げられ
当時TVで再三放映されていた
悲惨な光景を再び目にして…
「忘れてはいけない」
と思いを新たにした。
計り知れない辛い経験された方も
生きていかなければならない。
「あの日から時が止まったまま」
とおっしゃっていた方がいた。
今、生きていることの意味。
生かされていることへの感謝。
そして…
今もなお、残酷とも言える現実を
受け止めきれずに苦しんでいらっしゃる方
の存在を忘れてはいけない。
「明日」という日は必ず来るけど
もしかしたらその明日がまた残酷な明日にならない、とも限らないのだ。
だから後悔のない日々を送れる様、
心して丁寧に生きていきたいものである。