巣鴨と言えば「とげぬき地蔵尊」。
私は巣鴨の商店街にある「まる天」さんの
揚げ物が好きなので、時々買いに寄ります。
姪っ子の七五三に行ったついでに立ち寄りました。

とげぬき地蔵尊は、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺。
慶長元年に開かれ、巣鴨に移転したのは明治24年。
こちらでも御朱印を受けてきました。
正徳3年(1713年)、小石川に住む田付という人の妻は、
常に地蔵尊を信仰していた。
男子の出産後、重い病に見舞われ臨終を覚悟し、
「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか
 生きられないと父母から聞いております」という。
田付氏は妻が信仰する地蔵尊に祈願をし続けた。
ある日、田付氏の夢に黒衣の僧が現われ、
「私の像を彫刻して川に浮かべなさい」という。
田付氏は、それは急には難しいと答えると、
「では印像を与えよう」と言われて、目が覚めた。
枕元をみると、木の節のようなものが置いてあり、
よく見ると「彫ったものでも書いたものでもない」
不思議な地蔵菩薩の御影であった。
田付氏は一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、
それを河水に浮かべた。
その翌日朝、田付氏の妻がこう言った。
「今、枕元に死魔が現われましたが、
 錫杖を持った黒衣のお坊さんが、
 外にドンと突出してしまわれるのを見ました」
病は快方へと向かい、以後妻は無病になったという。

その田付氏の霊験の話を聞いた、
毛利家に出入りする西順という僧が、
田付氏はからその御影を2枚頂戴した。
正徳5年のある日、毛利家の女中の一人が、
誤って口にくわえた針を飲み込んでしまった。
苦しみもがくが女中に、僧の西順が、
「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」
といって、一枚を水で飲ませた。
すると、女中は腹の中のものを吐き、その中に
飲んだ針が、地蔵尊の御影を貫いて出てきたという。

その「針」がいつしか「とげ」になり、
とげぬき地蔵として祀られるようになったようです。

ここには「洗い観音」もあります。
身体にも色々ガタがきているので、
いっぱい洗ってお参りをしてきました。

そしてまる天さんで、大好きな揚げ物を買って。
ささやかなシアワセ。