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今日、高浜原発3号機が再稼働しました。私はとっても残念に思います。
実は、私は福島県出身です。2011年3月12日、福島の自宅で原発の中継を見ていました。ドンと窓にあたる鈍い音。
今でも忘れません。
その時はまだたいしたことは無いだろうと言う気持ちでいました。が
福島第一原発3号機も危ないという中継をテレビでやっていました。
3月14日夜中に三号機も危ないから避難した方がいいという情報をもらい、
4歳と7歳の子供を起こし、作っていた白おむすびを持って、実家に行きました。その時、旦那は仕事があるので私の父親と母親に私たちを遠くに避難させるようにお願いをしてまた自宅に帰って行きました。その時の私は悲しく寂しく泣いていました。
そして、父親に姉のいる宮城県に連れていってもらいました。
その時はガソリンが半分しかなく行ける所まで行こう。津波で電灯、信号機もなく無気味な感じでした。

姉のいる宮城県には11:00頃につきました。旦那からメールで三号機爆発。という知らせがあり、私は大声で泣きました。旦那はどうなるのか?とてもとても不安で怖かったです。

義母、義父と合流し神戸へ行く事になり、6人分の航空券をたのみ当日いざ空港へ行くときになって旦那が俺は仕事があるから一緒には行けない。両親、子供たちを頼むと言われました。
訳がわかりませんでした。旦那ははじめから行けないのをわかっていて私達に安心させようと嘘をついていたのです。
でも、私たちより旦那の方が辛く、寂しかったに違いありません。
飛行機の私の隣の席は空いていました。

ずーとずーと泣いていたのを覚えています。


私は思います。もうこんなに悲しく辛い思いを誰にもしてほしくないです。
本当に辛いんですよ。

70代のかたが言われました。私達の5年という時間は本当にかけがえのない時間だと。本当に悔しいと。

電気は生きていくためには必要です。
だから、きちんと点検をして、危ないと言われたなら隠さずに公表してください。
そしてきちんと避難をできる道路や場所を確保してください。
もう、福島のような町はつくらないでください。365日、24時間放射線のある空気を子供達には吸わせたくないす。365日、24時間綺麗な空気をおもいっきり吸わせてあげたいです。

今も当時の事を思うと涙か止まりません。
この思い総理大臣にとどけ。


長々とすみません。最後まで読んでいただき本当に感謝しています。ありがとうございます。