Geoffroy II Plantagenet & Constance de Bretagne (1st Marriage)

 

2nd cousins once removed (Henry I of Normandy)

 

イングランド王ヘンリー2世の4男・ジェフリーは、ブルターニュ女公コンスタンスと結婚します。

コンスタンスはブルターニュ公コナン4世の一人娘で(ブルターニュ女公ベルトの孫)、ジェフリーは結婚によってブルターニュ公位を受け継ぎ、ブルターニュ公ジョフロワ2世となります。

 

1186年8月19日、ジョフロワはフランス王フィリップ2世の主催した馬上槍試合の事故で亡くなってしまいます。

このときコンスタンスは第3子を妊娠中で、ジョフロワの死後に生まれたのが、幼くしてブルターニュ公位を継承したアルトゥールです。

コンスタンスと子供たちのその後については、、、それはまた別のお話で、、、

 

さて、ここからちょっとサスペンス入りますが、、、

 

フランス王フィリップ2世といえば、最初はヘンリー2世の息子たちを父に反逆するようにそそのかし、ヘンリー2世の死後は兄弟間で争わせ、「プランタジネット家・家庭崩壊作戦」をまんまと成功させた策士、というイメージがありますが、フィリップ2世がいちばん最初に近づいたのはジョフロワだったといわれています。

ジョフロワは次兄・リシャール(後のリチャード1世)がアキテーヌ公領を引き継いだことや、弟のジョン(後のジョン王)が領地を与えられなかったため、父ヘンリー2世に甘やかされて育てられたことなどで、父に対して不満を持っていたことから、そこをフィリップ2世につけこまれて、、、という気がしません?

 

で、その事故死というのも、フィリップ2世の主催した馬上槍試合で、というのが、、、なんかミステリー感じますよね?

母アリエノールの愛情を(もともと自領だったアキテーヌ公領の相続人となったリシャールを可愛がっていたため)ほとんど受けられず、父に甘やかされまくったジョンは、とんでもなくわがままで傍若無人に成長し、フィリップ2世にとって、もっと使える駒となり、もはや用済みとなったジョフロワは、、、

 

信じるか信じないかはあなた次第です。

 

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