この二ヶ月の生活は割と地獄絵図だったけど、今日だけはじぶん時間を完全に確保して、クラスに出てきた。


オンライン受講にするかも一瞬考えたけど、やっぱり芸事は人に直接会うことだなとしみじみ実感。。



目の前で歴史的な演舞を感じた後、YouTubeでアレコレと映える華やかな舞踊mvや歌物みたいなのを時間をみつけては観てきたのだが、とても耐えられないような気持ちになったのだった。


これはなぜなんだろう?と考えてみる。なんとなくだけども、お手軽mvけいは、かの国の女形の技術や哲学が、たぶん刹那的な娼婦のような扱いだからだと思う。。そこに漂うインスタントな経済世界の腐臭も。。 


なんというか、、手間の質が違いすぎる。。。




権力者の気を引ければ何かを得られる。


どんな時代も、人間の本質は変わらない。


しかしきっと昔、おんながおんなとして輝くことは、一族の生死にまで直結したのではないのかなと、両者から感じた覚悟の違いを前に思った。

苛烈な環境の中、おんなとしての所作が磨かれ、おんなであることが芸術に昇華していったのでは、、と。



覚悟や歴史から生み出された所作はただの媚びではなく、いのちをかけて磨き抜かれた美しい武器であったのかもしれない。


うたう太極拳。

今日のレッスンは、まさにそのような感覚だった。

とても気持ちが、、、よかった、、、


うつくしい武術の演舞に似た高揚が、歌舞を感じる心のなかに何故かさざめくのは、そのためなのかもしれないと、ふとそんなことを思った。



どちらも生き抜くための技の鍛錬の先に、世界の秘密を同じように内包するのだろう。



どんな風になりたいか、ときかれ

家についてから、少し考えてみて、心が決まった。



深く味わいながら美しく、うたえ、舞える。

そしてその上で、伴奏を深く吹けるようになりたい。