1週間がたったのか、2週間がたったのか、、、 時間の感覚がなくなるくらい、ハンパなくいそがしかった~><
とりあえず、気づいたら職場のデスクに気絶寝してて、目がさめたら夜中の1時だ。
事務所の熱いシャワーを浴びよ。。
なんでこんなことになってるのかなと思うけど、まあ自分の問題というよりも、オーナー一族が長年、業務の仕組み化や、人生の整理整頓をしてこなかったことが大きいんだなとおもう。そのすべてをひきうけ、交通整理しながら、片付け続けている感じがする。
業務以外のいろんなことが落ち着いた今年、やっと仕組み化に着手できはじめたけど、仕組み作りながらすすめるから今までより仕事のペースは一時的にガクンと落ちつつ、今までのごちゃごちゃしたものたちが雄叫びをあげながら複数で襲いかかってくるのを防戦しながら整理をすすめるような毎日だったりとかするので、割と地獄の光景が眼前に広がっている。
とはいえ、おいらはまぁ10室乙女ドラゴンヘッドで(テイルが魚なのがわかりみがすぎる)更に同室にPoF入とかなんで、ひたすらこういう感じが向かわせられてる修行道みたいなかんじだとはおもっている。ご褒美ありになってるのもうける。w
そしてなんだか、違和感のあったものは向こうからさってゆき、わたしの向かう方向を目指す人達がわたしのスペースにはいってきているのをかんじている。
キラキラしたものとかにほんとに興味がなくなってしまい、素朴で実直なものを大切に感じるようになった。
昔のような承認されたいという気持ちがほとんどなくなったんだなぁと思う。
だからそれ系の人たちにネットでも人生でも【お前はこっちにくんな】とブロックされていってるのがなんかちょっとおもしろくもある。いやいや。言われなくともそちらさ行く気はないですよー、ともね、、、
まあ承認というのがベースになると、人の動きは強く気になるものなので、いろいろ苦しいんだろうなとは同情はするけども。
ともかくまぁ、自分に正直になるというある種残酷で身軽な選択と、それによりできる内部の詰まりの流れは、ほんとうに大事なものなのだなぁとかんじてる。
そしてそれはわたしだけでなく、わたしに対して違和感をかんじるひともそうしてゆくべきなのだと思う。
願いや行き先が違うので、しかたないことなのだ。
今日、偶然から、わたしの声質が何に向いているのかをはっきりと自覚することになった。
若い頃、西洋のものを歌おうとか演奏しようとしたから、人生がすさまじく停滞したのだなと。
そうかあ、早くからまちがったほうにすすんでしまったんだなぁとハッとした。
そうだなぁ。
人生を通して、唯一訪れた外国も中国だった。
そのほかにも、たくさんの心当たりがありすぎる。
変な話だが、もしもほんとうに前世というのがあるのだとしたら、たぶん自分は南の方にすんでたんじゃないか・・
そして・・・ ずっと探してきたのだとおもう、ある中国琵琶の女性奏者のことを・・・
理屈抜きで、それらについては強い確信に近い予感がある。
たぶん、出会うと思う。
今世でその人は男か女かは知らんが、わたしたちはたぶんまた出会うだろう。
わたしはそのひとをずっとまっていたのだ、とも・・
最近はもう、現実のできごとと、世界のことわりとの関係の中を、胡蝶の夢のようにいったりきたりしているようにおもえる・・・
妙な確信や、世界の流れや動き、また、物事やモノへの感覚についてものすごく緻密に流れとして感じ取り、また、とらえることができる。
どうしていままで自分はそういうことがわからなかったのだろうなとも、おもう。
でもたぶん、花が咲くべき時に咲くように、時が訪れるのを待っていたのだ。
今日は、それに気付かされる出来事があった。
確信が過ぎて考えてしまうのだが、世界に変えられないシナリオや仕組みがあるとして、わたしが本当に自由にできるものとは、なんなのだろうかと、時々ぼんやりとそんなことを思う。
ともかくまあ、なんとか今日の打ち合わせを無事にすませないとだな。
ただ一生懸命生きる。
今のところ私に許されてる自由とやらは、そこらへんのような気がしているし、まあそんな生き方も悪くないなと思える年齢にはなってきたようにも思う。
そう。必要なものは、あまり多くはない。
シナリオがあろうがなかろうが、選ぶ自由があろうがなかろうが、外の話は外の話でしかないからさ。