ここのところずっと忙しかったんだけど、久々に日曜に昼過ぎまでぐうぐう寝て、昼ごはんは買い出しに行こうと思ったら父がまさかの必要だった たらこ を激安魚屋でやまもり買ってきたので!今日のラッキーフードだというタラモサラダをつくり、夕方にかけて覇王別姫を100円DVDで鑑賞し、最後にメルカリにはじめて出品してみた🌟


メルカリは入門ムックを購入してあったのにとりかかってみたかんじ。全体像や注意点を調べる時間がもったいなくてショートカット。この入門本も慣れたら売ってしまおっと。


今日は久々に仕事から離れて、とてもリラックスできた1日になった。暫く落ち着いてたのが、検査のことで朝から晩まで仕事になってたからな〜。



タラモサラダ、はじめ実はココスにいこうかなあとか思ってたんだけど、身体が手作りのものたべたーい!って言ってるので、つくるかな~と。


母が育てたレモンで仕上げたら激ウマに仕上がって満足。家族みんなで美味しいねえ〜と食べて、それがまた楽しくて。


夕飯は知り合いが送ってくれた貝で炊き込みご飯をつくり、初めてのワンカップを両親と分けながらちびちび呑んだんだけど、これがまたとても美味しかった!


先日、スパイスのお酒




をなんとなく選んで呑んだらとても美味しかったので、漫画でワンカップOLみたいなのを読んだのもあって、ためしてみたら、、日本酒っていいねえ〜。



最近の趣味は、お金をかけずに愉しむことチョキ

手間をかけることがたのしい。



覇王別姫、中国、香港、台湾をまたがっての制作ということで、いまの国際情勢をおもい、結構びっくりした。


この作品のこと、若い頃はよくわからなかったけど、この歳になると、人の心や政治経済に翻弄される人間模様がとても心に沁みて、、 冠を被せるシーンは嗚咽してしまった、、





今日初めて、ああ、覇王別姫って大昔のことだけど、きっとこれからずっと先も、人間が変わることはないのじゃないかな、、と、古代の絵を見ながら、ふかく感じた、、、


ここのところ、今まではいまひとつものにできなかった孫子が現実感を持って読めるようになってきたり、華美なものや快楽を誘う色々なものに全く食指が動かなくなったり、仕事でも興味の対象がスタッフラインの管理から経営に完全にシフトしたのを感じてて、年齢らしく成長してきたのを感じていて、歳をとることにたのしみを感じるようになった。



もう一つの変化は、気心しれた近しい異性はいるけれど、深い恋愛とかはもう良いなーと感じるようになったことかな。

そこらへん割り切ったらすごくきもちが楽になった。そもそもああいうのにわたしは向いてないんだなとおもう。時間を一緒にすごした一人一人は、それぞれが心の中ではとても大切な存在ではあるけれど。


とはいえ、なんか最近、初彼が一週間に一度くらい夢に出てきて首を傾げている。

ほんとうに飛び抜けてとても好きだった人で、別れてから7年以上引きずったんだけど、今はなんとも思っていないのに、なんでこんなに夢にでてくるのか?? 割とエキセントリックな夢なので起きても覚えてるのが不思議。


彼とは長く連絡をとってないけど、不思議なことに、彼が研究してる分野と同じ分野を、私はそれぞれ実地で体験してきているという、かぶり経緯があり、それもなんだかとても不思議だなとか思う。



それにしても、ここまで、本当にたくさんの失敗や失意に塗れる中で、希望をすてないでコツコツ努力してきた。

成功することに意味があるのではなく、試行錯誤しながら一所懸命に生きてきたことそのものにたいせつなものがあるんだなって、しみじみ感じる。


結果など出せようが出せまいが、自分の命を燃やしながら、自分を大切にするとはどういうことなのかを、わからないながらも模索しようとしてきた。その心がけがなによりも大切だったんだなって。そう心がけること自体が、自分を大切にすることだったのかもしれないなって。



食べるものを口にした時、美味しいかどうかが大切だったのが、いまは、命を分け与えてくれたことを感じていると、快楽を求めることに客観的になれるというか、自制がきくようになった。


人間というのは、ドーパミンだのなんだのが、そういう仕組みになっているわけだが、それはそれ、これはこれ、で、自分がその反応にどう対応してゆくかに、人間が人間である意味があるんじゃないかと、感じやすいが故に沢山の快楽に振り回された果てに思い至るようになった。


人間の快楽に対する仕組みと、それを操ることのできる経済というものがマッチすると、世界はどんどん破滅に向かう。


だけどそこから学べることのさきに、人間が人間であることが生み出せる、なにかとても静かで大切なものがあるということに、なにかとても、静かに感動してしまう。


自由ということは、本能のままただ好きなように生きることではないなと思うようになった。


脳の快楽反応を超えて、自分や世界を遠くから眺めながら、改めて生命のあるべき道を自由意志で選ぶことのできる力。


もしそんなことが人間という種全体で達成できるとしたら。それこそが人間だけがもつことのできる美しい自由なんじゃないだろうかなんて考えが、ふと脳裏をよぎった。



見えている世界でみたら、世界は最悪なのかもしれないけど、見えるものが全てじゃない。形や結果が全てじゃない。


それらは外部のものであり、究極わたしとは関係がないのだ。


1番大切なものは、わたしのなかにある。


そんなふうにおもう。