2024.5.11(土)


火葬は朝イチの9:00から。

遅くとも8:45には来てくださいと言われていた。


朝食を食べ、

私は礼服のワンピースだけ着た。

夫は礼服。

長男は何にも用意がないから普段着。


赤ちゃんをお布団から棺に移す。

火葬場でも見送る時間は設けてあると

言われていたが、

どれくらいの時間がもらえるのかは

わからなかった。

家で棺に納める時点でお花以外の副葬品は

一緒に入れた。


  • 赤ちゃんへのお手紙
  • みんなで折った折り紙の鶴、クローバー、手裏剣
  • 産院でもらった折り紙のお花、星
  • 母乳を含ませたガーゼ
  • ミッフィーの小さなぬいぐるみ

小さな棺はまだ若干の隙間があった。
火葬場でお花を沢山いれてあげようと思った。

棺の蓋を閉めて、
風呂敷に包んで車で火葬場に向かった。

家族4人での最後のドライブ。

途中、車内のテレビ番組のBGMで
童謡の『シャボン玉、とんだ』が流れた。
少しアレンジされていたから誰かがカバーして
歌っているような感じだった。
この曲を聞いたら切なくなり
また涙が溢れてきた…。


火葬場には予定より早く8:30すぎには着いた。
受付は開いていたので、
火葬許可証の書類を提出し、料金を支払った。

しばらくロビーで待っていると、
準備が出来たので、と係の人に呼ばれる。

祭壇に案内され、お見送りの時間が設けられた。
お焼香も用意されていた。

棺を再び開けて、
お花をハサミで短く切って入れていく。
もう涙が溢れ出て止まらなかった。

カーネーションは大きいものを4本用意してたが、
長男が2本持って帰りたいというので
そのようにした。
赤ちゃんと分けて家に飾るのもいいかなと思った。

その後、お焼香をした。
夫が長男を抱っこしながら先にした。
私はその後に…。
私は手を合わせて、
祈るのをなかなかやめれなかった…。
だって、手を合わせるのをやめちゃったら
本当にもうお別れだ。
もっともっと一緒にいたかった。
もう心の中はぐちゃぐちゃに苦しかった。
胸が締め付けられた。

長いこと手を合わせて
少しでも安らかに過ごせるように祈った。
何回もごめんね、と謝った。
短い時間だったけど幸せな時間をくれてありがとう、と感謝を伝えた。

そして自分勝手だけど、

『また会えるかな?
 いつか会いたいな。』

と、伝えた。

私は手を合わせるのをやめた。
本当は嫌だったけど…仕方ない。
でも、私の気持ちは少しは伝わったかなと思う、
いや、そう思いたかった。

最後、棺の蓋は私が閉めた。
苦しかった。
振り返っている鮮明に覚えている。
今でもフラッシュバックして胸が苦しい。

係の人に、お願いします。と言った。
係の人は
『なるべくお骨が残せるように慎重にいたします』
と、言ってくれた。

火葬炉の前で、
最後に合掌をして、永遠のお別れになった。


その後はロビーで時間を潰した。
みんな個室を借りているのかロビーは閑散としてて、私達以外は一組しかいなかった。
静かなロビーで外の景色を眺めながら過ごした。
色々な感情があったが深く考えないようにした。
考え出したらキリがなくなる…。


40分くらいすると、収骨室へ呼ばれた。

初めに見た時は
『やっぱりお骨は残らなかったんだ』
と思うほど、何もなく見えた。

係の方が説明してくれる。
よく見るとしっかりとお骨が残ってくれた。
大腿骨がメインで、残りは頭の一部とのこと。

用意してきた骨壷にお骨を入れる。
お骨が小さく脆いので、
箸渡しはせずに、私、夫とそれぞれ一回ずつ
お骨上げをした。
残りのお骨は係の方にお願いした。

用意した骨壷には、ほんの少しのお骨。
でもお骨が残ってくれて安堵した。
ありがとう、赤ちゃん。
最後の最後まで私達のこと考えてくれる
親孝行な子だね。

骨壷をしっかり持って火葬場の外に出た。
一面の青空だった。

『赤ちゃんはきちんとお空にいけたかな…
 お空で少しでも安らかに過ごしてほしい』

と願った。。

火葬場をあとにして帰宅。
骨壷はみんながいる
リビングの一角に置くことにした。
火葬場から持って帰ってきた
カーネーションも一緒に飾った。


NIPT陽性後からまだ1ヶ月しか経ってない。
あまりにも早いお別れだった。
今までの人生の中で1番苦しかった1ヶ月だった。