水道いまだ復旧せず 南三陸の西條さん、町内でただ1軒
河北新報 9月2日(金)9時20分配信
東日本大震災から半年近くたった9月になっても水道が復旧していない家が、宮城県南三陸町に1軒だけある。生活用水は裏庭の沢水で賄い、飲み水は給水車が頼り。水道管がすぐに修復される見通しはなく、住人は「早く何とかして」と訴える。
水道が通っていないのは、同町戸倉の会社員西條良一さん(61)方。登米市津山の避難所から自宅に戻った5月以来、不便な生活を余儀なくされている。
周辺には約80軒の家があったが、津波でほぼ全て流された。現在、この地区で暮らすのは西條さん一家だけだ。
南三陸町では8月までに、ほぼ全戸で上水道が復旧した。西條さん方も近くの本管までは修復工事が済んでいる。
しかし「そこから先、1軒だけのために水道管を通すのは難しい。通しても1軒だけだと水圧が弱いために途中で水が止まり、水質も悪くなる」(町上下水道事業所)との理由で、西條さん方は取り残されている。
西條さん方では洗濯、風呂、食器洗いなどに裏庭を流れる沢水を使っている。裏庭の貯水槽に竹製の装置を付け、ゴムホースで家まで水を引く。
風呂用、台所用とホースを取り換えるため、一日に何度も貯水槽まで行く。ホースを交換する度に水しぶきを浴びる。
妻の糸路さん(65)は先日、ホースを換える途中、裏庭のぬれた岩場で転び足をけがした。「何でこんな目に、と情けなくなった。冬になれば水は冷たくなるし、裏庭は暗くて危険だ」と言う。
沢水は飲用には適さず、町の給水車から毎日40リットルの供給を受ける。水の入った重いポリタンクを持ち上げるのは重労働。暑い日にはそうめんを食べたかったが、水を大量に使うので諦めた。
愛着のある家で暮らすため、仮設住宅に移る気はないという。「せめて給湯器とシャワーが使えるようになれば」と西條さん。町は「すぐには対処が難しい。復興計画が策定され、周辺に住む人が増えれば水道管も通せるのだが」と話す。
水道が通っていないのは、同町戸倉の会社員西條良一さん(61)方。登米市津山の避難所から自宅に戻った5月以来、不便な生活を余儀なくされている。
周辺には約80軒の家があったが、津波でほぼ全て流された。現在、この地区で暮らすのは西條さん一家だけだ。
南三陸町では8月までに、ほぼ全戸で上水道が復旧した。西條さん方も近くの本管までは修復工事が済んでいる。
しかし「そこから先、1軒だけのために水道管を通すのは難しい。通しても1軒だけだと水圧が弱いために途中で水が止まり、水質も悪くなる」(町上下水道事業所)との理由で、西條さん方は取り残されている。
西條さん方では洗濯、風呂、食器洗いなどに裏庭を流れる沢水を使っている。裏庭の貯水槽に竹製の装置を付け、ゴムホースで家まで水を引く。
風呂用、台所用とホースを取り換えるため、一日に何度も貯水槽まで行く。ホースを交換する度に水しぶきを浴びる。
妻の糸路さん(65)は先日、ホースを換える途中、裏庭のぬれた岩場で転び足をけがした。「何でこんな目に、と情けなくなった。冬になれば水は冷たくなるし、裏庭は暗くて危険だ」と言う。
沢水は飲用には適さず、町の給水車から毎日40リットルの供給を受ける。水の入った重いポリタンクを持ち上げるのは重労働。暑い日にはそうめんを食べたかったが、水を大量に使うので諦めた。
愛着のある家で暮らすため、仮設住宅に移る気はないという。「せめて給湯器とシャワーが使えるようになれば」と西條さん。町は「すぐには対処が難しい。復興計画が策定され、周辺に住む人が増えれば水道管も通せるのだが」と話す。
最終更新:9月2日(金)9時20分
1軒だけのためって…
好き好んでなったわけじゃないのに…
何とかならないものなのか…?