こんばんは。
今は全くヤクルトスワローズのことを考えたくないので、久々に家の押入れから僕の少年時代の懐かしいファンブックを見て、現実逃避もかねて昔のヤクルトを懐かしんでました。
表紙の流れがヤクルトの歴史を表しているので、少し紹介したいと思います
1986年ファンブック
未来のエースでヤクルト人気No.1の荒木投手に、次代の四番の広沢選手の2ショットです
この2人、当時のベテランエースの尾花投手や梶間投手、はたまたヤクルトの顔、「小さな大打者」若松選手を差し置いてほとんど実績がない中で見事表紙を飾りました
本当にヤクルト球団がこの2人を育てていこう、という意気込みがうかがえます
1987年ファンブック
この年は、見事にアイドルから若武者に大成長し、2年連続開幕投手を勤めた荒木投手と、これまた若きエース、高野投手の気合い溢れる姿が表紙を飾りました
特に荒木投手、前年に比べて顔つきが凛々しくなってきているのがわかりますまさにヤクルトの大黒柱これからヤクルトの大投手としての道を歩むぞ……、という素晴らしい未来を僕は、いや誰もが想像していたことでしょう……。
1989年ファンブック
出たぁ
ヤクルト名物HI砲コンビが表紙です
前年の88年にセ・リーグに旋風を巻き起こしたこのHI砲は、ヤクルト人気を爆発させるきっかけを作り、後の黄金時代の礎を作ることとなったのです。
「広沢が打てば池山も打つ」
「池山が打てば広沢も打つ」
これはもうヤクルトファンの間での合言葉みたいなものでしたよ。
もうこの2人が打席に立つのが楽しみでたまらない
まだまだ弱いヤクルトでしたが、たまに当時強かった巨人や広島相手に大どんでん返しをやるお祭り野球が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした
優勝なんて夢のまた夢だったけど……、勝っても負けても凄く楽しかったです
しかしこのお祭りベースボール開花の中、若きエースの荒木投手はヒジの大ケガのため、ヤクルトの表舞台からしばらくの間姿を消すことになるのです……
1990年ファンブック
遂に名実ともに池山選手がヤクルトの顔になりましたしかも前年の89年に若松選手が現役を引退、いつしかミスターヤクルトの道を歩むことになるのです。
三振は多いけど打っては毎年30ホームラン、ダイナミックなショートの守備は何度もヤクルト投手たちを救いました。
ボヤキの野村監督に怒りのサイクルヒットなんかもありましたよね
落合選手(中日)との二冠王争い、燃えました
さて、今回はこの5年間のヤクルトの歴史を少し思い出してみたんですが、ヤクルトには表紙の選手以外にも魅力ある選手はもちろんいました。
しかしこの荒木投手、広沢選手、池山選手は当時あまり強くなかった(正直、優勝する気配が全くなかった)ヤクルト球団が懸命にプロ野球ファンに対し、アピールしたかった選手なんだ、と今更ながら気づきました。
その中でも特に荒木投手と池山選手はヤクルトの人気に大きく貢献してきたといえるでしょう。
1992年の荒木投手の優勝争い真っ只中での運命の復活をしたり、
そしてヤクルト黄金時代を支えたスター選手の池山選手が、広沢選手とのHI砲コンビを決裂してからもヤクルトでの現役にこだわり、2001年には控えにまわってまでヤクルトの優勝に貢献する、
など……ここでは書ききれないほどのドラマをこの2人は見せてくれました。
次期監督はヤクルトの元若きエース、荒木コーチが噂されます。
そしてこの流れを組むと、もしかしてその次の監督は……池山コーチになるのではないか……、と僕は少し遠い将来まで考えてしまうんですが……
80年代後半(僕の中学、高校時代です)のヤクルト、僕が感受性が高かったからかもしれませんが、言葉では言えないほどヤクルト野球は楽しかったです。
今とはやはり時代が違うのかな……(当たり前ですが)、と少し考えてしまいました。
今は全くヤクルトスワローズのことを考えたくないので、久々に家の押入れから僕の少年時代の懐かしいファンブックを見て、現実逃避もかねて昔のヤクルトを懐かしんでました。
表紙の流れがヤクルトの歴史を表しているので、少し紹介したいと思います
1986年ファンブック
未来のエースでヤクルト人気No.1の荒木投手に、次代の四番の広沢選手の2ショットです
この2人、当時のベテランエースの尾花投手や梶間投手、はたまたヤクルトの顔、「小さな大打者」若松選手を差し置いてほとんど実績がない中で見事表紙を飾りました
本当にヤクルト球団がこの2人を育てていこう、という意気込みがうかがえます
1987年ファンブック
この年は、見事にアイドルから若武者に大成長し、2年連続開幕投手を勤めた荒木投手と、これまた若きエース、高野投手の気合い溢れる姿が表紙を飾りました
特に荒木投手、前年に比べて顔つきが凛々しくなってきているのがわかりますまさにヤクルトの大黒柱これからヤクルトの大投手としての道を歩むぞ……、という素晴らしい未来を僕は、いや誰もが想像していたことでしょう……。
1989年ファンブック
出たぁ
ヤクルト名物HI砲コンビが表紙です
前年の88年にセ・リーグに旋風を巻き起こしたこのHI砲は、ヤクルト人気を爆発させるきっかけを作り、後の黄金時代の礎を作ることとなったのです。
「広沢が打てば池山も打つ」
「池山が打てば広沢も打つ」
これはもうヤクルトファンの間での合言葉みたいなものでしたよ。
もうこの2人が打席に立つのが楽しみでたまらない
まだまだ弱いヤクルトでしたが、たまに当時強かった巨人や広島相手に大どんでん返しをやるお祭り野球が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした
優勝なんて夢のまた夢だったけど……、勝っても負けても凄く楽しかったです
しかしこのお祭りベースボール開花の中、若きエースの荒木投手はヒジの大ケガのため、ヤクルトの表舞台からしばらくの間姿を消すことになるのです……
1990年ファンブック
遂に名実ともに池山選手がヤクルトの顔になりましたしかも前年の89年に若松選手が現役を引退、いつしかミスターヤクルトの道を歩むことになるのです。
三振は多いけど打っては毎年30ホームラン、ダイナミックなショートの守備は何度もヤクルト投手たちを救いました。
ボヤキの野村監督に怒りのサイクルヒットなんかもありましたよね
落合選手(中日)との二冠王争い、燃えました
さて、今回はこの5年間のヤクルトの歴史を少し思い出してみたんですが、ヤクルトには表紙の選手以外にも魅力ある選手はもちろんいました。
しかしこの荒木投手、広沢選手、池山選手は当時あまり強くなかった(正直、優勝する気配が全くなかった)ヤクルト球団が懸命にプロ野球ファンに対し、アピールしたかった選手なんだ、と今更ながら気づきました。
その中でも特に荒木投手と池山選手はヤクルトの人気に大きく貢献してきたといえるでしょう。
1992年の荒木投手の優勝争い真っ只中での運命の復活をしたり、
そしてヤクルト黄金時代を支えたスター選手の池山選手が、広沢選手とのHI砲コンビを決裂してからもヤクルトでの現役にこだわり、2001年には控えにまわってまでヤクルトの優勝に貢献する、
など……ここでは書ききれないほどのドラマをこの2人は見せてくれました。
次期監督はヤクルトの元若きエース、荒木コーチが噂されます。
そしてこの流れを組むと、もしかしてその次の監督は……池山コーチになるのではないか……、と僕は少し遠い将来まで考えてしまうんですが……
80年代後半(僕の中学、高校時代です)のヤクルト、僕が感受性が高かったからかもしれませんが、言葉では言えないほどヤクルト野球は楽しかったです。
今とはやはり時代が違うのかな……(当たり前ですが)、と少し考えてしまいました。