この時期苦手だ。


私は『1番』になりたかった

じゃないのかもしれない


ただ、ただ‥

にもにも負けてはならない


奥底にある言葉感情


一体、自分が‥

何と戦ってるのか、解らない。



中3の時の担任は・・・


『先生が推薦してやるから

 私立の高校に行け』


だけど‥は、

あまり学校に行かなくなって

推薦の話はなくなった。


ダメ元で自力で私立公立を受けた。


私立高校での面接では……


『本校に受かった場合、

 公立は、どうしますか?』


えっ‥?考えろ、私


『家は、お金が無いから‥

 出来れば公立に行きたいです』


アレ‥?受かった。


あまり勉強をしたくない私


体育2時間  

植物2時間 

家庭科2時間


最高の時間割表を見た時から

第一希望農林高校に決めて居た。


公立高校倍率⒏7倍位だった


だけど此処受けた大半の人達

滑り止め第二希望者


第一希望者定員割れして

私は受かった。


それなのに私は2週間位しか

まともに通えなかった。


停学から無期停からの退学


何やってんだ‥私は。


漠然と高卒の資格だけは‥

どうしても欲しかった私は翌年、

『夜間高校』入学した。


停学を繰り返しながらも‥

何とか四年生になった。


だが、しかし‥

四年生の時に単位切れた


留年だ

若かった私は‥‥


『やめる』『来ても仕方ない』


その翌年‥

恩師説得協力のお陰で、

四年生だけの為に、また入学した。


こうして、無事に?

6年かかって高校卒業した。



だけど中々、

悪さがやめれなくて

バイトも続かなかった



定時制高校に通ってる時から‥


早番ヘルス界で働き始めた。


30才手前まで働いて……

30才から30才半ば迄は、

お風呂屋さんで働いた。



車のローン35万円位が払えない

けど‥親には頼れないと思った


弟も妹も居る‥今後を考え

自分が稼ぐんだと思った



欲しいモノは自分で手に入れる

手段は選ばない



家庭と言う社会信用出来なかった


だから‥か?尚更、


にもにも負けたくなかった



世間体以外は………

恥じる事悪い事もない



私なりに必死生き抜いて来たんだ


おつかれ‥私。

背負ってたの