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風のように

風のように在りたいと思うスズコとめめの日記

みなさま、おはようございます。

 

すっかりご無沙汰してしまった すずこ。です💦

一昨日、無事に福祉住環境コーディネーター2級を受験してきました。

結局、試験当日の朝の数時間しか勉強(復習)する余裕がなく、不安な気持ちのまま試験に臨みました。(笑)

しかしながら、手ごたえバッチリ(^^)v

前回、2010年に3級を合格していて。翌年に2級を一度は受けてるんですよね。

たった1点が合格点に足らず、不合格でしたが・・・・

でも、その後約一年は大学の通信課程で社会福祉士(のための学科)も学んでいるので基礎知識はバッチリなんです。

この 日本福祉大学、大学と言うだけあって恐ろしい学費が必要なんです。。。

一般大学に比べると十分の一以下ではありますが。

あぁ、もう一度大学で学びたいっ!

 

ところで。

私はモヤモヤ病患者です。

モヤモヤ病とは【ウィリス動脈輪閉そく症】と以前は呼ばれていて。

脳の末梢血管が細いため、MRI撮影で【モヤモヤっとした】血管しか映らないんです。

これが、両側に認められて初めてモヤモヤ病と診断されます。

発症原因不明・治療法がない・進行性・家族性(遺伝性)が揃った難病です。

当たり前に【特定疾患受給対象病】です。

私は20年前に手足にマヒが出て、脳梗塞が判りモヤと診断されたのですが。

なんと!

今回、MEI(A)を撮りましたら、改善されていたんです(^^)v

※MRAは脳血管を映す検査機器です。今はMRIで同時に撮れるようになってました。

以前の形状もMRIと全く同じでしたね。

 

所見に「前回よりも血流は良好であるが、機器の違いと思われる」って書かれました(笑)

基本、モヤがよくなったりはしないので。

しかも術後20年目でなんて、有り得ない。

血行再建術の直後は良くなりますよ、当然。

でも、前回「前回よりも血流は不良なものの悪化と呼ぶ程でもない」的な所見が付いた術後20年経過している私に付く所見じゃないんです。

 

 

あら、出勤時間が迫ってきたので、つづく~

みなさま、おはようございます。

 

近況報告を。

 

17日に、久しぶりに県立中央病院を訪れました。

結論から申し上げますと25日(来週いっぱい)は、休職です。

 

私の主治医は、愛媛県立中央病院、脳卒中センター センター長河野兼久Drです。

私はH8に麻痺が出て、【もやもや病】(当時は【ウィリス動脈輪閉塞症】)と診断されました。

脳梗塞を発症していたのです。

当時、まだ18歳ですよ?高校を卒業したばかりです。

高校を卒業して、バスガイドの道を選びました。

湯姫ガイド組合(現Office湯姫)所属のバスコンパニオンとして勤務しておりました。

奥道後温泉観光バス、伊予鉄道観光バスに乗務してました。

先輩ガイドを車庫の事故で亡くしてましたね。

とても良くして下さったのに、那須さん、何故あの位置に立ってしまったんでしょう。。。

未だにお名前を忘れる事が出来ません。

(実は高校の後輩の親友が、那須さんのご子息だと言うのが判り、やはりご縁のある方でした)

記憶があやふやなので、思い起こしながら書いてます。

ちょうど、GW中でした。

親友たちと仕事明けに飲みにいき、へべれけで親友宅に戻り。

マンションの駐車場で嘔吐・痙攣した記憶はあります。

「ゴメン!シャワー貸してね」と後片付けを親友たちに頼み、部屋へ入って。

熱いシャワーを浴びました。

次の記憶は、親友のお父さんにお風呂場で抱きかかえられていた状況です。

支えられて、布団へ。

寝たのか気絶したのか。

目覚めると朝でした。

トイレに行こうとして部屋の入口に座ってた男のコの足に躓きました。

当時は、駅舎式トイレや和式トイレでしたので、かなり汚してしまった記憶があります。

用を済ませて、「着替えに帰るね。」と、車まで下りた記憶はあるんです。

次のシーンは、曲がり角(右折します)の左にあった標識にシルビアの左前をぶつけた事。

家に着き、お隣のお兄さんに「どしたん?車ぶるけとるやん」と声を掛けてもらいましたっけ。

で、母に「飲み過ぎた。頭痛いけど、着替えて親友らと砥部ZOOに行ってくるね」と話したような・・・。

で母に「いやいや、遊びに行ける状態じゃないやろ。少し寝てからにし?」って言われたのか、「少し寝てから行く」と説明したのか。

とにかく親友に「すぐには行けん」って電話をしたような気がします。

親友も「とりあえず、寝よきや。また連絡して~」と答えてくれた記憶はあります。

少し眠って、祖母に起こされたような?

(後で聞いたのですが、こどもの日だったのでお小遣いをくれようと祖母が声を掛けてくれようとしたのを母が「すずこは頭が痛いと寝てるから起こしたらいかん!」と止めてくれたそうです)

次に目覚めると夜でした。

すごいのが、私の私室は二階にあったんです。

どうやって布団に潜り込んだのか記憶がありません。

1階に食事に降りようとして、階段まで数歩歩くと足が動かないんです。

階段を降りられない。

「おかあさーん、降りれん!」と叫んだような?

すぐに親父が飛んで来て、支えてもらって階段を降りました(この記憶は鮮明です)

トイレも親父に支えられて、赤ちゃん(両ひざに腕を入れて、開ける)のように用を足したような。。。

カレーを少ししか食べられませんでしたね。(この記憶も鮮明です)

「とりあえず、明日、病院へ行ってみよう?今夜は、ここへ布団敷くから、ここで寝なさい」と居間に布団を敷いてもらって、寝ましたね、普通に。

翌朝、確かGW明けの平日。勤務の予定だったような気がするので、チーフには電話を入れたのでしょうね。(その記憶は曖昧です)

出掛けるのに「たばこ、たばこ」と騒いだ記憶はあるのに。。。(笑)

平日なのに親父が居たような?

いや、居なかったか。

とにかく母と、伊予市の木村脳神経外科(今は、中村脳神経外科として違うDrが経営されてます)へ。すぐにCTを撮ったような?

ストレッチャーが冷たく狭かった記憶がありますね。

CD室へ車椅子で入った記憶があるのに、ストレッチャーで出て来ましたね。

「救急車を呼んだから、このまま愛大へ行って」と言われた記憶はあるんですよね。

「脳梗塞を起こしてる」とも。。。

何が何だか解らないまま、救急車に乗りましたね。

愛大に着いて、正面玄関からストレッチャーで運ばれてて、正面玄関で宇和島へ嫁いだ同級生に会ったような?

(これは、未だに判っていませんね、そう言えば・・・)

次の記憶は、病室で食事が出て、トレイごとひっくり返した場面です。

何故か、傍には祖母が居て。トレイをひっくり返したのは自分なのに、祖母に八つ当たりしてましたね(笑)

夜に、今奈良に住んでいる親友と幼稚園教諭の友人と、当時の彼氏が来てくれたような。

彼に「ごめんね、心配掛けて。仕事大丈夫なん?」とか話したような。。。

当時の彼氏、6歳上で大工さんでした。

この彼、最近まで引きずってましたね。

 

それであれよこれよと入院生活が始まり。

7月20日に手術を受けました。

弟の誕生日だったから覚えてるの。

 

入院後一週間は絶対安静で、座ることも許可されず。

トイレ・・・導尿カテーテルは入ってたな。

排便はベット上。

これが、なかなか難しいんですよ💦

恥ずかしいよりも、寝てる状態なので出ないんです、便が。

なので三日くらいで、ポータブル(トイレ)を置いていただきました。

 

ちなみにずっと祖母が付き添ってくれてました。

出る食事は美味しくないからと、お昼は祖母が食堂?からテイクアウトしてくれてました。

夕飯は、母が作ってきてくれてましたっけ。

動かないのに、高カロリーなものばかり食べていたので、かなり太りましたね。

おやつにピザとか。。。

ありえな~い

 

それで確か入院一週間後くらいからリハビリが始まったんです。

その時、実習生で私の担当だった女性とは未だにお付き合いがあります。

 

2部へつづく~

 

 

みなさま、おはようございます。

 

うわっ。なんかめっちゃ腹立った。

やっぱり、簡単に人を信じるとダメですね。。。

師匠に笑われそうだわ💦

 

私、これでも年配の方には一歩引いてて、立ててるつもりなんですよねー。

(歳が上だから年配、先輩に近い意味かな。造語だったらゴメンなさい)

 

ご存じの方も多いと思いますが私は、FBをガッツリやってる人間です。

中毒です、はい。(笑)

 

何かね、迷うんですよね。

その方法が良くないから、助言させて頂いたつもりなのに。

更に否定的でネガティブな言葉が返ってくるのは何故かしら。

 

以前書いたかなぁ。。。

「それ!をする事のメリットとデメリットを常に考える」

って、うちの上司に言われたって。

とても素晴らしい事だと、私は思えたんですよね。

私はスマホカバーに大切な事、常に頭に置いておきたい事を付箋書きにして挟んでます。

頭に叩き込むまで。

この言葉もしばらく挟んであったのですが・・・

今は常に頭にあるので、もうスマホカバーにはないんですけどね。

 

そりゃね。

コミュニケーションツールなので、ご自分のご意見を私の投稿に書いて下さるのは結構です。

でも、誰かを否定したり傷付けたりする言葉をならべるのって、どうなんでしょう。

 

インターネットが普及している昨今。

いろんな方のいろんな意見が嬉しくて、いろんな書き方をしているのですが・・・。

これもそうですよね。

 

以前、【傾聴】について意見を述べました。

その人が何を言いたいか、どうしたいかを聞くことは信頼関係を築く第一歩だと私は思っていて、実は【ふるい】にかけてます。

この人は私にって、どんな影響を与えるのか、必要なのか。

ある程度の距離を保った方が良いのか、踏み込んだ付き合いをした方が良いのか。

今、私とあなたが知り合って。今後、どんな付き合いに発展するかなんて解りません。

今までは体当たりでやってみて、かなり先に結果が判っていました。

それって時間の無駄なんです。

最初から、この人はこんな人!と解ってお付き合いすれば、この人!を傷付けることは少ないと考えました。

更にサポートし易い。

全ての人を受け入れたい、との意味もあります。

人間、自分に肯定的・否定的な意見は排除してしまう傾向にあります。

それでは、自分が成長しないんです。

それを私に教えてくれたのは、親友です。

「すずこ。嫌な女になりよるよ」。彼女の言葉は一生忘れません。

20数年前、私が親友に言ってもらった一言です。

何度もケンカして、何度も仲直りしてきました。

それでも、その彼女がやはり、一番の親友なんです。

当時、私は思春期で、多感な年ごろ。

高校に通いながら、友人たちと遊び狂っていましたね。

バイトもして恋もしていました。

恋って楽しいけど、めんどくさいんです。

決して「真面目」ではありませんでした。

 

どのタイミングで、それを彼女に言ってもらったかは覚えてません。

でも男絡みだったのは確かです。

同時進行で、数人の男性とお付き合いしてた時期もありましたから、その頃かな。

「女として嫌われるようなコト」を私がしていたんでしょうね。

同性に嫌われる=異性にも嫌われる。

ま、女性の場合(と思い込んでたら男性にもあるそうです)、妬み・僻みがプラスされるので、見極めるのは難しいのですが。

彼女の事だから、「女として」よりも「人間として」の意味だったんじゃないかと思います。

 

まぁ、こんな経験もありましたね(笑)

そんなわけで、人間関係って実はみなさんが1番悩む事だと思います。

でも悩まなくなる方法、ありますよ!

【周りを一切気にしない】ことです。

私は、お勧めしませんが。

【自分】が大切か【周りの在る自分】が大切か。

これは、ご自身で選んで下さいね。

人間、一人では生きられませんから。

 

これでも私って、かなり周りに気を遣う人間なんです。

これを言ったら傷付けるだろうなって解るんです。

だから、最初は丁寧に優しい言葉でアドバイスするんです。

でも二度目は厳しいです。

ほらね、すでに言葉が攻撃的なの。

そこは、私がまだまだ未熟な所、直したい所。

でも、心を鬼にして伝えようとしてるんです。

伝わって欲しいから。

優しく伝える事だけが良いとは限りません。

伝わる方法は、十人十色なので。

 

ただ、私は「すずこ。は、こんな奴だ」と理解してもらった上で付き合いをしたい。

だから本音で体当たりしてます。

だから、誤解はされやすいです。

でも良いの。

万人に好かれようなんて、これっぽっちも思って居ないので。

 

ここに書くのが良いかは解らないんですが、実はめめの実父がこのブログを読んでくれています。

嬉しかった。

私の勝手で私たちは別れを選びました。

でも、彼も元々、メル友で。

私の事を理解してくれています。

あら、私って思ったより理解してくれてる人が多くて愛されてるんですね。

今、書きながら気付きました。

周りを信じてないのは私ですね。

私は一人じゃなかった。

本当に、有り難い事です。

みんな本当にありがとう。

 

こうやって、過去からの因縁を解決しながら、幸せになれるんですね。

解決するから幸せになれるのかな?

 

ブログを書きながら、自分も成長出来る。

とても素晴らしい事です。

読んで下さってる方に感謝でいっぱいです。

 

ただ、ごめんなさい。

今、時間的余裕がなくて、TOPに入っていません。

コメントとか入れて下さっても確認までは出来てません。

もう少し、お待ち下さいね。

今は、自分を治す事を最優先にしてます。

自分が治れば、時間も出来ます。

自分の足が地に着いていないのに、誰かを救う事なんて出来ません。

今は、ジャンプする前のジャンプ力を溜めこんでる時期なんです。

蝶になる前の蛹状態?

間違って【蛾】になってしまったらごめんなさいね。

せめて【蝶】として羽ばたけるように邁進いたします。

 

それでは、本日もステキな一日を過ごせますように( *´艸`)

 

では、また☆