D・モントゴメリー、A・ビクレー著「土と内臓」を読みました。

 

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最近の私が興味を持っている「土」についての本を読むと、本書「土と内臓」に触れられている文章を何度も目にしてきた。難しそうな本でしたが、読んでみることにしました。

 

著者のおふたりはご夫婦で、地質学者と生物学者。土と環境の専門家ではあるが、微生物学者や医師ではないとのこと。プライベートの新居の庭づくりから土壌改良に興味を持ち、自らの健康と食生活に向き合っていくお話でした。新居の庭づくりにお金をかけられないから、自分たちで始めたってところから、グッと親近感がわいてとても共感できました。

 

有機物は土壌の活力源

 

有機物というと聞こえはいいが、実際には動植物の死骸で、見かけは悪いし匂いも悪い、しかし、有機物の能力を自分の目で見てしまうと、アンと私にはその土臭い匂いがとても芳しく思えた。

 

有機物は土壌の活力源である。菌類と細菌は土壌生物集団の土台であり、地下世界の仲介者の中心だ。菌類は先頭きって死んだものを生物の中に戻し、ある種のものは枯れ木を食べるように専門化していて、自然の経済活性化に特に重要な役割を果たす。

 

自然の隠れた半分は地球の皮膚に働きかけて、土から植物、動物まで広がる生命の絨毯を織りなしている。そして動植物が死ぬと、それは微生物の繁栄の礎となる。陰陽で言えば、地価の土壌の生命は陰で、対して地上の生命は陽だ。

 

【私の感想】

「自然」というと、草木や動物をイメージしていましたが、「隠れた半分」は土であり、陰陽のように両方があって成り立っているということがよくわかりました。著者らは、庭の土づくりから、自らの手を通じて実感されていきました。庭いじりから感じる「世界のもう半分」が土にあるという見方は、私も自分の庭いじりの経験からも納得できました。土に栄養を与えるこは、自らの体の健康、心の充実にもつながります。それを科学的に説明してもらったように感じました。

 

 

パレオダイエットとベジタリアン

 

パレオダイエットは、旧石器時代の食生活に倣った動物性たんぱく質を主体とする食事法。一方で、ベジタリアンやビーガンは、植物性食品の素晴らしさを強調する。この対立する食生活観は、どちらも少なからず真実を含んでいる。それぞれの食事法を組み合わせるのが理にかなうのだ。

 

消化されなかった肉が腐敗してできた副産物に対して、腫瘍が成長し始める。それに対し大腸の細胞は活性化し、反逆した細胞を排除する。植物性由来の消化されない複合糖質は大腸をきれいに掃除する。

繊維を発酵させる細菌がたんぱく質を腐敗させる細菌が作り出した問題を解決させる。加えて、この大釜の中にいるすべてが食物を得る。

 

人間は地球上でもっとも雑食性の強い生物であり、栽培植物、家畜、手の届く野生の植物まで幅広く食べる。食べ方のアドバイスとしては、自分の体内にある大釜を毎日、発酵性の食物で満たし、自分にとっていいものであふれかえらせることだ。

 

 

【私の感想】

私が読んできた、「GO WILD」などの野生に返ることを勧める本や、「EAT&RUN」を始めとするアスリートの食事に関する本がつながって理解できる感じがしました。

土のなかで起こっていることと、腸の中で起こっていることを理解すると、どう日常生活を送ればよいかが見えてくる。動植物が豊かに暮らす庭づくりと、発酵食品を豊富に獲った健康な腸が共通したもののように、思えてきました。

 

菜園づくりから食生活が変わる

 

私たちは菜園を作ったことがきっかけで、食生活を改める方向へ動き出した。庭で獲れるものを食べることが多くなり、肉、チーズ、パンを食べる量が減り、戸棚のスナック類はほとんど食べなくなった。

 

しばらくして、食べるものを変え、毎日往復4キロを歩いて通勤することにしたところ、私の健康状態は目に見えて改善された。新しい食事法にしたところ、血圧とコレステロールは正常の範囲に低下した。体重は大幅に11キロ減った。どんな薬もいらなくなり、腸内の微生物の庭園を耕すことで、健康がこんなにも改善されるのかと、私は今でも驚いている。

 

庭づくりは私たちに、これまで想像もしなかったことを教えてくれた。土は、長期にわたる世話と肥料を必要とする。私たちは我が家の庭で、世界の縮図を見るようになった。自然は遠く人里離れた土地にあるのではない。それは想像以上に身近に、まさに私たちの中にあるのだ。

 

【私の感想】

土壌に触れることが世界を知ることになっていく。それを著者夫婦が自らの体験と学者としての専門知識とつなぎ合わせて、教えてくれました。私も庭いじりから土に興味を持てて、自分の世界が広がった感じがします。

 

ありがとうございました。

 

昨夏の我が家のバラと雑草で覆われた庭です。