今野道勝著「家畜になった日本人」を読みました。

 
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本書は、裸足ランニングを実践されている方がSNSで紹介されているのを見て知りました。日本人の健康生活に興味のある私に、ドンピシャだと、思いまして。

 

著者の今野氏は、健康教育がご専門の大学教員をされていた方のようです。本書は1982年(今から38年前!)に発刊。当時のネパールを訪れ現地を調査され、健康についてネパールから学ぼうとされています。

 

著者は、先進国では「人間の家畜化」が進み、虚弱化していることに警鐘を鳴らします。人間は、狩猟採集民として進化してきました。当時のネパールの文化は、日本で言う明治以前の時代に相当し、日本とネパールの「文化的な進化と生物学的進化のアンバランス」の違いを見ることから、「大切な何か」を学ばせてくれます。

 

本書の内容から私が学んだことを一言でいうと、「ネパール人みたいに歩け」ネパールの人たちはどんな暮らしをしていて、どんな身体の使い方をしていて、私が真似できることはどんなことだろうか?

 

姿勢を良くして歩く

 

ネパール人の歩行姿勢は、予期していたとおり非常に美しく、また動作も非常になめらかでした。美しいと言っても、それは軍隊調の不自然なものではありません。絶え間なくゆるやかに流れる小川のようにとでも申しましょうか。手足の動きが実にスムーズなのです。脚は前後によく開かれており、とくに、脚が腰のかなり後ろのほうまで伸びているのが印象的でした。

 

優れた歩行能力を保持していた縄文時代人や江戸時代人の歩行姿勢は、ネパール人のように美しいものだったと思います。もちろん、歩幅も現代人のように広かったに違いありません。

 

ネパール人はよく歩いています。そして、歩くことだけで高い最大酸素摂取量を維持しています。日本ではスポーツ教室が花盛りですが、歩くことより実りの少ないスポーツ教室なら開かないほうがよいと思います。

 

【私の感想】

ネパール人は、歩幅が大きく、歩行姿勢が美しい。かつての日本人もそうだったはず。と、いうのが著者の考えで、強く納得しました。日常生活で、たくさん歩く習慣があるネパール人は、機能的な動き方ができていて、無駄がない。だから、速く歩けるのでしょう。

 

私は、背中を丸めてトボトボ歩く傾向があって、「後ろ姿に元気がない」と言われたことがあります。私も「美しい歩行姿勢」を身につけようと思います。

それには、脱力しながらもシャンと立って、日頃からよく歩くことだと思います。

私の地元でも、昨今スポーツジムが乱立しています。でも、私の好きなトレーニングは、スポーツジムに通って筋トレするより、いかに日常生活で歩くか!です。

 

 

はだしに近い履物

カトマンズの街で見かける人の約三分の一ははだしです。足底の皮は厚く、古い鏡もちのようにひび割れができています。指もかなり太いようです。

 

私たちの祖先ははだしで生きていたのです。「人間の足も、もともとははだしで歩くようにできていた」はずなのです。一部のネパール人のように、はだしで歩いている人たちの足は非常に丈夫にできています。はだしで歩く場合には、足の指を力強く、しかも器用に働かせる必要があるためです。

 

最近の日本人の足は指が細く、指と指の間隔も非常に狭くなっています。足底の皮膚が弱くなっていることも充分に予測できます。

 

ネパール人は靴を履いている人が少ないようです。ビーチサンダルを履いた人がかなりいました。ビーチサンダルはネパール人に人気があるようです。

 

草履式のサンダルやげたなどの歩行は、比較的はだしに近い指の動きを必要とします。最近まではだしで歩いていた人たちには、靴などよりもビーチサンダルのほうが歩きやすいに違いありません。だいいち、足の指の間隔の広がったこの人たちの足に、靴の型が合うはずがありません。

 

【私の感想】

私の休日の履物は、サンダルや五本指のもの(ビブラムファイブフィンガーズ)にするようにしています。それで日本人である私が持っている歩行能力、足の機能を活かせるはずだから。そんな考えにバッチリ合った著者の考えに強く頷きました。

厚底やヒールなどが付いた靴は日常生活に履くべきでない、というのが私の結論。とはいえ、仕事ではサンダル履きでいるわけにはいきません。日常生活の中で、どこにはだしやサンダルを取り入れられるか、さらに探求していこうと思います。

 

自然との共存

 

元日本人の小川さんは、コテンという小さな村で自給自足しています。

「都市部に行けば、生活するためにお金が必要になります。お金をたくさん持ちたくもなります。しかし、お金を手に入れて物を買い、他人よりも少し多くの財産を持ったところで、いったいどれだけ幸せになれるでしょうか。」

 

日本の社会をコテンの村から眺めてみると、多くの欠点があるように思えてきます。

西欧合理主義には、もともと自然との共存という発想がなかったのがないか。過去の日本人のほうが自然の法則をよく知っていたのではないか。

 

都会はコンクリートで覆われています。靴が土で汚れない場所、それが進歩の象徴でありました。巨大なダムや堤防は発展した国のシンボルでもありました。

人間が文明と、その中核となっている制度を発展させてきたなかで、人間の本能をいかに無視し、否定してきたか。

 

私たちは西欧合理主義とは異なる新たな価値観を持って、自分たちの社会をチェックしなければならないと思います。

 

【私の感想】

最近の私が感銘を受けた宮崎駿のアニメ「風の谷のナウシカ」、「未来少年コナン」と繋がりました。ナウシカは腐海や王蟲のメッセージを受け取り、共存する道を望みました。コナンは自然の中に生き、人間本来が持っている能力を活かして、リーダーになっていきました。

お金だけを追い求めるのでなく、日本人が本来持っていた、自然を崇敬し、共存していく生き方を探求したいと思いました。

 

それには、憧れても行けなかった東京より、今住んでいる地元のほうが断然良い場所です。コロナ禍で外出できない中でも、山道を歩いたり、お寺をお参りしたりできます。

日頃から、山を眺めて、舗装されていない道を歩き、自然の中に生きるネパール人。私も地元にいて、休日にはそんな実践がしていけるな、と思いました。自給自足まではいきませんが。

 

ありがとうございました。