テレビを見なくなってから21年が経過して22年目に入った。テレビを見ない間にアナログ放送から地上デジタル放送に変わって久しい。

ワンセグというものが流行った時代も有ったが今はどうなったのか今一分からない。携帯電話にワンセグがついていた時代も有ったがスマホになってからワンセグの話題はあまり無くなってしまった。

一時はワンセグの小さな画面を見ていたことも有ったが目が痛くなってしかたなかったし、何しろ場所的にNHKしか入らないので何ともいえなかった。

NHKの受信料の集金人が来たことも有ったがテレビは無いと追い払ったら二度と来なくなった。

今はネットでテレビに代わる情報も入るし、テレビのニュースや新聞の情報も入るようになっているからテレビや新聞が無くても困らない。そういえば以前は新聞は4コマ漫画とテレビ欄しか見ていなかったからテレビが無いなら新聞も当然不要なわけだ。だから新聞も取っていない。

テレビや新聞が無い事でいったい何が困るのかと考えてみるとどうも思いつかない。どちらが無くても最低限のニュースや話題は知っていると思うし、今更テレビや新聞を見たいとも思わない。

あえて言うならテレビが無いと人と話す際にテレビならではの話題は全く分からないので会話が成立しない。そして新聞に関しては仕事で野菜を包むものが無くなってしまう。

だから新聞は知り合いから古新聞を分けてもらっている。

今は古新聞はネットショップでも買えるらしいが馬鹿らしいし、新聞というメディア自体に興味が無い。ただ野菜を包むのに新聞紙は適しているから中身を印刷してない無地の新聞紙が有ったら欲しいところだ。

テレビを見ない20年の間にテレビの画面自体がどんどん大きく薄くなっていって驚く。たたみ一畳くらいのテレビなんて部屋に置いたらいったいどの位離れて見たらいいのだろうか。ワンルームの部屋だったらいい位置を探していると家の外に出てしまいそうだ。

今のテレビはとにかく薄いから窓の代わりに壁に埋め込んだらお好みの景色をいつでも見られて楽しそうだ。ネットのライブカメラの映像を映しておいたら家に居ながらアメリカやヨーロッパの街並みや辺境の砂漠の風景や南極のペンギンのいる氷原などを好きなだけ自分の窓から体感できるだろう。まあネットで十分だけど面白い気がする。
 

一時デジタルフォトフレームというものが流行ったがあれはどうなったのだろうか。あの大きなものを窓に埋め込んだらいつでも好みの風景を見られて楽しそうだ。

たまに電気屋などでテレビを見ると番組の雰囲気や出ている人が昔と変わっていなくて驚く。まだこんな事をやっているのかと感心さえするが、逆に全く知らない人もたくさん出ているので違和感を通り越して異世界を感じる。

久しぶりに仲の良かった友達に会ったらそいつは全く知らない人ととても親し気に話していて自分は全くその間に入れない感じとても言ったらいいだろうか。

ネットフリックスなどのサブスク契約をしたら好みの映画などは見放題なのでテレビを見るまでも無いだろう。

見たくないものを無理やり見させられるプッシュ型情報のテレビ番組より、知りたい情報を自ら取りに行くネットなどのプル型の情報の方が面倒でなくていい。

そういえばNHKがネットでもNHKの番組を放送してネットを使った視聴者からも受信料を取るみたいなことを言っていたが発想がバカすぎて呆れを通り越して怒りさえ感じる。

NHKの番組という時代遅れのコンテンツをわざわざネットに載せること自体が時代錯誤も甚だしいのに、それに強制的に受信料をとるという発想がそもそも狂気じみている。

試しにネットにNHKの番組を全て載せて番組ごとに視聴者の年齢などの統計情報を詳細に取って分析したらいつ頃にNHKの視聴者が居なくなるか予測できるだろう。

試しに紅白歌合戦でやってみたらいいのではないか。

あと20年くらいで今までずっとNHKを見ていた層がほぼ居なくなるのが分かるだろう。もっと早いかもしれない。

まあ他のテレビ局もだいたい同じなので新聞社の今後と共に生温かい目で今後を見守っていきたい。