自分は今、被災地にいて、ひたすら復興作業に従事している。復興作業だから、何をやりたいだとか好みだとかをそもそも考える隙間もなく、ひたすら水をかき出し、判断に次ぐ判断、否、考えつつも、熟考するよりも短絡的判断で先に少しでも手を動かし、一つでも多くの瓦礫を取り除くことだけに従事して日が暮れる。

とにかく疲れ果て、酒を飲むこともしんどく、布団に入っては短時間で目が覚め、また服を着替え出勤する。


4月から不幸にも出世し、遂に中間管理職になってしまった。元々、一年数カ月前から脳内で何度も「命を守る行動を!」というフレーズが繰り返されるようになって、撤退を志願し続けて、終ぞ叶わず、そればかりか上席の欠員という理由で昇格してしまった。そこからのひと月、気づけば復興作業に従事し、過労死ラインを跨ぐ日々が続いている。


楽しかったはずの現場から一人また一人卒業していき、建物とわたし以外、ほとんどのものが入れ替わってしまった。災害の最中で、少しずつ変わっていったから節目もなく、気づいたときには何もなくなっていた。今月もまた、去るものへの寄せ書きを書き、送別会の店を予約する。いつになったら自分は送り出される側になるのだろう。とか思っていたら、自分の在りし日のことを知る者は周りに誰もおらず、そしてまたわたしも同じように、ぬるっと片足、またもう片足、気づけば抜け出しているのだ。


卒業出来るって素晴らしいこと。ちゃんと悲しめるし、切り替えられる。そういや最近いないね?みたいな感じではなく、きちんと卒業出来る…そんなタイミングは、本当はもっと前にあって、その機を逸してしまったのかもしれない。


年齢、体力、色んなものの衰え、諦め。青春の次に来る朱夏というステージは、あまりにも早く終わった。白秋が始まっている。


自分がもう出来ないからこそ、可能性のある若い人を少しでも支援したい。それが唯一の、復興へのモチベーションである。ぶつける生卵は常にスタンバイさせてあるが、若人のためにならぬなら投げても虚しい、とも思うし、若人のためになるなら中指を立て続けようとぞ思う。


復興の目処がたったらここを去ろう、ということだけは決めて、出口のないトンネルを走り続ける。39歳の4月。