某所12月挨拶。

 

 

「困難にほどほどに向き合う」

 某高校で「クラス替え騒動」が勃発し、週刊誌や新聞までが報じていますね。生徒の自主性を尊重せず校長がトップダウンで決定する(ように見える…真相は別として)というやり方は悪手でしかなかったと思いますが、折角ですから新校長先生による投げかけを機に「伝統」「校風」について考え直してみても良いのではとも思います。「懸念」を覚える生徒がどうすれば今よりも快適に3年間過ごせるのか、どう共存するのか(たくさんの卒業生から話を聞く限りでは「共存」できているようでしたが…)、改めて在校生一人ひとりに問い直す機会を与えてくれたと考えれば、”ヨソモノ”の”異端”な問いかけは、巡り巡って良い波紋となるかもしれません。
 
 尤も、個人的には「クラス替えがないことで人間関係に悩む」ことで得られる経験、成長もあるように思います。「障害物」「不安要素」を全て取り除けば平和で幸福な日々が待っているかというと案外そういうわけでもなくて、「苦労して汗水垂らした」からこそ「終わった後に飲む水がいつもより美味い」みたいなこともありますし、「つらい悲しい体験をした」からこそ「他者に慮れる、人間としての器を大きくできた」ということもあります。何も起きない退屈はやがて苦痛に変わります(そもそも人は苦痛から逃れることはできない?!とすれば、その苦痛とどう共存するかを考えた方が良い)。
 
そういう意味では、この校長先生の目的・意図が気になります。「トラブル回避」「危機管理」「コンプライアンス遵守」「事なかれ主義」…色々ありますが、「事なかれ主義」でないことを願います。そう、「事なかれ」というのは、人が成長する学校現場とは相容れない価値観です。コンフォートゾーン(=こたつの中)を少し出たところで、人は成長します。
 
(以下略)