某所6月の挨拶文。

 

 

 

「ピアノを習えば東大に合格できるのか」

 「東大生の56%がピアノを習っていた」
…これだけ聞いて、皆さんはここからどんなことを連想しますか?

 ・2人に1人か、意外と少ないな
 ・ピアノを習えば東大に合格できるのかな
 ・東大に入るためにはピアノを習えるくらいの経済的余裕が必要なのかな
 ・ピアノを習うことで情感や認知能力が発達し、学力が向上するのかな
 ・ピアノは譜面を覚えないといけないから、記憶力が鍛えられたのでは?
 ・ピアノを習ったから東大に入れたのではなく東大に入る人がたまたまピアノ好きなのでは
 ・他の習い事じゃだめなのかな
 ・こういう調査ってなんでいつも「東大生」なのかな
…色々と想像ができますね。「最近調子が良い」と言うより「最近20点以上点数が上がった」と言う方が説得力があるように、数字を用いることで客観性が高まりますが、だからこそ、数字に対して真摯に(というと曖昧な表現なので、正確には「科学的に」)向き合わないと、意図せずだましたりだまされたりする羽目になります。

ちょっと練習してみましょう。

・「2人に1人か、意外と少ないな」(または多い)
→何と比べて?

・「ピアノを習えば東大に合格できるのかな」
→これは因果関係?相関関係?(そもそも関係なし?)

 用語が少しわかりにくいと思うので、わかりやすい別の例を出します。
 「お茶を飲めば東大に合格できる」
 →突っ込みどころだらけの文ですね。「賢くても賢くなくてもお茶ぐらい飲むだろ」
  「賢い人が賢くない人よりお茶をたくさん飲んでるかどうかわからない」
  「↑仮にお茶をたくさん飲んでたとして、それと賢いかどうかとどう関係するの?」
  ①お茶の成分カテキンが脳細胞を活性化?→これなら因果関係がありそうな気もする
  ②お茶をたくさん飲めるほどお金持ち=お金持ちの方が塾に多く通える=より賢くなる
   …あくまで間接的事象にすぎない(お茶自体の飲む飲まないは賢さに関係ない)かも
  ③単なる偶然かもしれない
 (誰にどのような調査をしたのか、というデータ自体の信ぴょう性も確認したいところ)

「人は自分の見たいようにものを見る」…と、よく言われます。データが出たら、自分の都合の良いように解釈し、単なる相関関係を因果関係であるかのように語りたがるものです。「こうしたからうまくいった」というのも、往々にして偶然を我田引水しているだけだったりします。ただ、そういう思い込みやバイアスがあることで頑張れる原動力になっていくのなら、「鰯の頭も信心から」ということで、それはそれで良いのだろうとも思います。

ちなみに、上述のアンケートは2015年頃(出典不明)に東大家庭教師友の会が東大生約200名を対象に実施したアンケートだそうで、学習塾を除外して1位は「水泳」65.8%で、2位「ピアノ」56.4%、3位「英会話」32.2%、4位「習字」25.7%、5位「サッカー」19.3%とのことです。日本全国平均と比べたらこの結果はどうなんでしょうね。
(と、不足するデータを想像し、探し始めることが「科学的思考」を育む第一歩です)