某所5月挨拶。

 

 

自分で考える

 

映画『カメラを止めるな!』で一躍有名になった上田慎一郎監督が少し前にTikTokにショート動画を投稿し、話題を集めています。その中でも「キミは誰?」という3本のシリーズは今の世相を巧みに表出しながら、近未来を予言するような内容。詳細は実際に観ていただければと思いますが、会話が苦手な学生が耳裏に骨伝導スピーカーを付けて、全て「会話サポートAI」の指示したセリフの通りに喋るというものです。

 

失敗したくない、正解を教えてほしいという心理が「AIに正解を求める」という行動につながるのは、裏を返すと「失敗/成功を過度に気にしなければならない世の中になっている」ことの裏返しでもあります。デジタルツールの普及であらゆる事象がデータ化・数値化され、それが風化できない(忘れてもらえずいつまでも残り続ける)ことも一因のように思います。

 

「それってあなたの感想ですよね?」…こういう冷笑主義が流行るのも、根底にある問題は同じです。失敗を恐れるとともに、自分の立ち位置を守りたいという防衛本能から、自分と異なる行動を取る者を貶めて排斥する、極めて動物的な反応です。

 

ではどうすれば良いのか。――本題に入る前に…人間のテクノロジーは進化の一方通行が原則なので、既に出来てしまった技術を消失させることは不可能。ゆえに、現在あるデジタルツールを禁止することは無意味です。Chat GPTと骨伝導スピーカー(或いはARグラス)を駆使して暗記テストに臨むなんてことも、早ければ皆さんが大学入試を迎えるころには実現可能になっているでしょう。オトナたちは「そんなのカンニングだ」と取り締まる方向で議論をするでしょうが、私個人の意見としては、そもそも瞬時に調べられる語句や軽い説明を暗記させる現行の入試教育自体が、貴重な人間の時間と能力の無駄遣いだと思ってますので、カンニング上等な時代が早く来てほしいと願っています。

 

(※保護者の方から誤解を生みそうなので補足しておきますが、幼少期に「暗記をしたり公式を覚えたりすること」自体の意義はあると考えています。基本的な四則計算を知らない幼児に電卓を持たせても使いこなせないのと同じで、AIを安全かつ上手に活用するためのベースとしての知識を人間側が持つことは大切です。)

 

さて本題。今起こっている不安・懸念は、人間各々が「AIはあくまで道具である」という前提に立ったうえで、人間としての感覚を磨くこと、体と心を大切にすることで、超克できるのではないかと思います。物事を前向きに推進していくための力。モチベーションとかやる気とか色々な言葉がありますが、アメリカの経営学者・FルーサンスはそれをHope(希望)、Efficacy(自己効力感)、Resilience(回復力)、Optimism(楽観主義)の4つに分類し、頭文字を取って「the HERO within」と定義しました。

 

全て重要な概念ですが、ここでは特に「自己効力感」に着目して説明します。「自己効力感」というのは「自己肯定感」とはやや異なります。「efficacy」「effect」で辞書を引くとニュアンスがつかめると思いますが、成功体験を積むことで「自己効力感」を高められる、と一般には言われます。

 

ここで注意したいのは、「成功」の尺度(計り方)を自分の内側に置くことです。「人の目から見て成功かどうか」、例えば偏差値が高いとか、多数派の意見と同じかとか、そればかりを突き詰めていくと、冒頭に挙げた「カンニングして高められるスコア」しか高められなくなり、いずれ限界を迎えます。(上田監督の作品に出てきた学生が「私たち誰と会話してたんだろうね」と落ち込むように)

 

大切なのは、自分で考えること。自分で考えるというと難しく感じるかもしれませんが、大丈夫です。誰も考えたことのない案を0から作るのではなく、幾つかある中から自分で選択するということです。オリジナルというのは、0から1ではなくて、選択肢の中からの抽出・組み合わせによる差別化です。

 

選択するためには、判断基準を自分の中に持つ必要があります。「何が自分にとって大切か」「どうすることを、自分は心地よいと感じるか」。日々の学習における自己効力感をそのように高めるためには、例えば「前はできなかったことができるようになった」という過去の自分との比較や、「○日連続取り組めている」という継続性などを尺度に自己評価していくと良いでしょう。そうして最初は我流であったとしても自分の中での自分にしかわからない価値を大切に育てていくことによって、AIにはできない「未来の創造」ができる。勉強の面白さが過程にあるというのは、まさにそういうことなんだろうと思います。