GBの連載、4月の原稿です。

 

 

 

ロック青二才  vol.083「真面目に生きてきた罰」

 「優等生ほどメタルが好き」という調査結果がアメリカで発表されニュースになった。これについて「確かに真面目じゃなければメタルのああいう指づかいとかすぐに挫折するよな」といったコメントを見かけた。ジャンル問わず真面目にコツコツやる人はいると思うが、確かに「真面目じゃないと続けられない」可能性が一番高いのはメタルというジャンルなのかもしれない。

 

 それはともかく、この「真面目」という言葉。辞書で引くと「うそやいいかげんなところがなく、誠実であること。本気、真剣であること」といったポジティブな意味が列挙される一方で、関連語には「生まじめ(=まじめすぎて融通が利かないこと)」、「くそまじめ」、「愚直」、「四角四面」といったネガティブな用法のある言葉がずらっと並ぶ。

 

 私事で恐縮だが、三十年ちょっと真面目を是として生きてきて、昨年色々と痛い目に遭う機会があった。その時、「これはずっと真面目に生きてきた罰だな」と思った。何のこっちゃというと、「真面目にさえ生きていれば必ず成功すると信じて疑わず、妄信的に”真面目であること”だけを追究してきた生き方への懐疑」である。

 

 例を挙げて説明しよう。たとえばいつもお世話になっている50人キャパくらいのハコのブッキングライブに出演することが先に決まっていて、その後に、偶然バーで知り合ったメジャーアーティストのマネージャーに気に入られて「1000人キャパのワンマンのオープニングアクトに出ないか」と誘われたとき、貴方ならどっちを取るか。真面目人間は「先に約束したほうを優先したほうがきっと後々自分にとってプラスになる」と妄信し、1000人キャパの後から来た話を断腸の思いで断るのである。

 

 しかしそんな真面目バンドは千載一遇のチャンスを逃し、日の目を見ないまま日陰を歩き続ける羽目になるだろう。理由は幾つかある。まず第一に、その選択を「真面目ルールに従ってやむを得ず選択した」と自分に言い聞かせている。その時点で「お世話になっているライブハウス」は足枷だという認識を持つようになる。これではいつまで経っても人に好かれるようなバンドマンになれない。第二にその選択の仕方は「僻み、妬み」を生む。その証拠に真面目人間はきまって他者にもその真面目さを強要する。「音楽業界って軽い奴多いよな、こっちはしっかり義理を通そうとしているのに、不義理不人情な奴らが多いよな」という具合にである。確かにそうだ。だとしても、そういう人間とも関わっていかなければ、いつまでも狭苦しい「真面目コミュニティ」からは脱却できないし、大衆から支持される明るいメジャーアーティストにはなれない。ベストセラー書『嫌われる勇気』で一躍注目された心理学者・アドラーの理論によれば、「あなたの不幸はあなた自身が選んだもの」なのである。つまりそうやって「不真面目なやつを批判し、いつまでも被害者意識を持つ」環境下に居続けることが気楽だからなのである。

 

 真面目に生きてきた罰とはつまり、真面目にさえ生きていれば成功すると思い込み、成功する工夫を怠り知恵を働かさず、そればかりか成功者に対して「ズルい」「不義理」と勝手にレッテルを貼り、多様性を認める努力も怠ってきた者に対して与えられる罰である。

 

 じゃあどうすればいいか。今日からチャラく軟派に生きるか。いやいやそういうことじゃない。「ま、いいんじゃないそのくらい」という柔軟さと寛容さ。コンプライアンスなんかさ、いいんだよ、たまにはぶっ飛ばしても。